2.27.2012

2.19 脱原発杉並デモの素敵な写真集

■江上賢一郎くん―Indipendent Researcher (art and social movement)/Photographer―が撮った写真のアルバムが、彼のfacebook上で公開された。


ロンドン大学ゴールドスミス校で文化人類学を学び、集団的表現としてのアート/アクティヴィズムを研究している彼は、今は福岡に暮らし、〈Urban Potlatch〉というアート・アクティヴィズムのワークショップ・シリーズもオーガナイズしている。
彼とは、2008年G8洞爺湖サミット時に世界中からアクティヴィストが集まって北海道で抗議アクションを行った際の拠点となった反G8キャンプでテントをシェアして以来のつき合い。フィールドワークの一環で、こうして東京にもしばしば来てデモの写真を撮って見せてくれるのだが、彼のデモの写真はいつも独特のほんわり感でデモ列の中のポジティヴなエネルギーを絵に凝固させている。彼はぼくが参加しているドラム・ブロックのやっていることも評価してくれるし、ぼくは彼のこうしたたまの写真を楽しみにしている。

で、今回の杉並デモの写真、facebook にアカウントがない人は見られないのだろうけど、現在は多くの人がアカウントを持っているのではないかと思うので、紹介します。

写真についている彼のコメントがまたいい!
このペイジに行けない人にも読んで欲しいので、コメントだけペイストさせてもらおう。

有象無象の祝祭空間が路上に現れた2.19脱原発杉並デモ。小さい子供からお年寄りまで、つまり人間のあらゆる生の時間が、澄み切った冬空の下に集い、共に歩いていく姿がそこにあった。原発のない世界を求めることは、この世界を一時的に引き継ぎ、そして未来へ受け渡す私たち人間の共通の「使命」からすればあまりに真っ当な要求であり、子供を生み育てることを不可能にするような文明に対する決定的な拒否でもある。ここには、あらゆる世代を超えて歩き始めた人たちがいた。数年前から僕はそのような多くの素敵な人たちと東京の路上の上で出会ってきた。路上での出会いは、ほかのどのような場所での出会いとも異なる感覚を伴っている。それは、まるでもう一人の私と出会うような感覚であり、僕はそれを「コモンとしての私たち」に出会う喜びだと考えている。この「コモンの喜び」を手放さない限り、私たちは時と場所を超えてもなお世界のあらゆるところで共に歩いていくことができるのだろう、そんなことを考えながらピカピカに光る冬空の下を歩いていた。

これを読んで目頭がジンとした。
こういうデモに参加していると、オマエらふざけてんのか? 遊んでんのか? 騒ぎたいだけじゃねえか! 的な批判を浴びることがままあるのだが、こういうデモでこそはっきりと感じ取れる〈ピカピカに光る空の下を歩いている感覚〉にかけがえのないものがあるのだと、主張したい。
ぼくたちは、そこに絶対的な希望を見いだしているのだと。
だから抗議のためのデモなのに、自然に笑みがこぼれたり、踊り出したくなったりするのだと。