6.30.2009

CDG

■ある友人から連絡がきて、前回ジャケットを載せたCDを今度貸して欲しいと頼まれた。そういえば前にもこのCDを人に貸してよろこばれたんだった。結構こういう趣味の人いるんだな。amazon.co.jpを調べたら(当然廃盤なのは知ってたけど)なるほど、コレクターズ・アイテムなんだね。


でも、オレがメイル到着通知音にしているCDG(シャルル・ドゥ・ゴール空港)のS.E.なら、こんなサイトを見つけたよ。


http://www.myxer.com/ringtone:249732/


携帯電話の着信音として購入できるらしい。オレは携帯電話というものを所有したことがないので、この音声データが日本の携帯電話で使えるのかどうかは皆目分からないが、もし使えるんなら、この不快な梅雨空の下、着信音だけでも旅行気分になれたらそれはそれでいいんじゃないでしょうか(上記サイトでサウンドの試聴ができる。探せば他の空港のもあるんじゃなかろうか)。


でもこのS.E.はCD『世界の大空港』に入ってるCDGのS.E.よりも微妙に新しくなった、メタリックできらびやかな音になってる。このところCDGに行くたびに、昔とは音がちょっとだけ違うな、と感じていたのだ。


CDGのことを考えていたら、ジャン・ロシュフォールの出ていた『パリ空港の人々(Tombés du ciel)』という1993年の映画のことを思い出した。


すじがうろ覚えなのでWikipedia を引用すると:

学者のアルチェロは、モントリオールの空港で寝ている間にパスポート等を盗まれてしまう。とりあえずシャルル・ド・ゴール空港までたどり着いたものの、当然パスポートなしではフランスに入国することは出来ないし、フランスとカナダの二重国籍を持ち、イタリアにスペイン人の妻と共に住むアルチェロの状況は複雑で、確認が取れるまでトランジット・ゾーンから出られなくなってしまう。


・・・というストーリーだが、この話はある実話が下敷きになっている。実際にCDGで19年も暮らしたマーハン・カリミ・ナセリというイラン国籍の難民がいるのだ。これは有名な話で、日本版のウィキペディアに彼のページもある。日本ではちょっと想像しにくいタイプのなんとも数奇な災難に遭った(その後、それに順応して、おそらくそれを多少は楽しんだだろう)人である。ちょっと面白い話(というのは不謹慎か)なので、2~3分の時間がある人は上のリンクから一読をおすすめする。


この前のエントリーで、《極めて非日常的な空間体験としての旅行の醍醐味を味わえる場所というのは、ほとんど空港だけだなどと書いたが、マーハン・カリミ・ナセリにとっては、シャルル・ドゥ・ゴール空港が日常生活の場所になってしまったわけだ。あのS.E.も、彼にとっては、今オレんちの窓の外から聞こえてくるカラスの鳴き声程度の雑音だったんだろう。カラスの鳴き声を携帯電話の着信音にしている人はいないだろうな、さすがに(もし街中でそんな着信音が聞こえたら、と思うと愉快だ)。


仕事は進まず、黒い翼の想像は羽ばたく。・・・空港で暮らすといえば、フランスの人気作家ジョルジュ・ペレックはその著書『さまざまな空間』の中で、国際空港で暮らしてみるとどうなるか? という空想をひとしきり展開している。そして、その空間での暮らしが導き得るものを《せいぜい、ルポルタージュのネタになるか、陳腐な喜劇の脚本が生まれるといったところが関の山だ》として話を締めている。


ペレックは1974年にそのテクストを書き、そんな試みは《たちまちうんざりしてくるはず》だし、《適応を促すこともありえないだろう》としたが、彼はナセリがCDGにブロックされる1986年を待たずして、82年に亡くなった。ペレックが、ナセリの運命についてどうコメントするか聞いてみたかった、と思っている人は、フランスに大勢いるだろう。


6.26.2009

6月の旅

■カレンダーに関係なく仕事するオレは、カレンダーに関係なく休む。前のエントリーで“ヨーロッパの6月は気候も最高”だと書いたが、このところほぼ毎年のように6~7月のどこかで1ヶ月間をヨーロッパで過ごしてきた(体調の問題で、とにかく梅雨の日本を脱出したいのだ)。去年の6月はパリでマニュ・チャオ(日本ではスペイン語風にマヌ・チャオと書く人が多い)の3時間半のショウを2夜続けて観たり(ああ、なんと素晴らしいライヴだったことか…)、トゥーツ&メイタルズや、ティケン・ジャー・ファコリーや、オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベスのライヴを観たり・・・あるいはアムステルダムの夕暮れどきに、コーヒー・ショップ《The Dolphins》で壁のイルカを眺めながらノーザン・ライツ(名前も美しいが…)をうっとりと一服したりしていたんだが・・・今年はこのジメジメしてる東京の重たい空気の下、洩れるインクで指先を赤くしながら『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』の文字校正中。


この暑さと湿気からくるフラストレイションを、なんとか机の上で少しでも軽減する手だてはないかと思い、仕事の合間にこんな写真集を眺めている。ドイツ/ケルンのDaab出版から出ている空港の写真集『Airport Design』



そもそも雄大な自然を味わうとか、美しいリゾート地なんてものには興味のないオレ(基本的にあらゆる人種がごちゃごちゃしてるところにしか興味がない)にとって、旅というのは、よく考えるとたいして非日常的な体験ではない。着いた先の空港を出た瞬間に、その国の日常生活空間に放り込まれる(飛び込んでしまう?)からだ。なに人だろうと人間の日常の営みの本質に大差はないから、現地の日常空間に入り込んだ瞬間に、普通に人間らしい暖かい歓迎を受けたり、人間ならではの不愉快な迷惑を被ったり、人間の愚かさや面白さを味わったり、紛うことなき現実の“日常”を体験するだけなのだ。


で、その意味で、極めて非日常的な空間体験としての旅行の醍醐味を味わえる場所というのは、ほとんど空港だけだ(だからオレはつまらない“直行便”というやつが嫌いなのだ!)。この空港の写真集は、そんな非日常性を楽しめる世界中のハイパー・モダンで近未来的な空港の、それも特にデザインの鋭いアングルを切り取ったものだから、適当にページを開けば一瞬で頭の中がここからどこかへトリップできる(ノーザン・ライツのように鮮やかに…)。


しかしこの(今まで誰もが軽々しく口にしてきたところの)“近未来感覚”ってやつは、基本的に40年前のジャック・タティの『Play Time』の世界から特に変わっていないように思う。“近未来”のくせに、実際にそこまで時間が進んだところで、真夏の逃げ水のように決して追いつけない感覚・・・。40年前も今も同じ“近未来”・・・。それって結局のところ、やっぱりいつの時代になっても日常とは相容れない何か、もしくは、どこか、なのだ。つまりこの写真集も『Play Time』のDVDも、永遠の“脱ルーティン用ツール”として使えそうだ。東京の6月を苦しむ、あせも・夏バテ予備軍にクールな非日常の世界をもたらす“近未来クラシックス”。



同じ効能を求めて最近頻繁に聴いてる音楽がある。先月リリースされた、フィンランドのヘルシンキを拠点に活動するドラム ン ベイス・クリエイター5組によるコンセプト・コンピ・アルバム『Helsinki Sunshine』だ。出口はUKのハウス/ドラム ン ベイス・レーベル(Pivotal Records)。これを聴けば、北欧の短い夏の、澄みきっていて軽やか(低湿度)な祝祭感覚に包まれる。そういえば・・・コペンハーゲンのかの有名なティヴォリ公園は、基本的に初夏から9月までしか営業してなくて、夏には深夜0時近くになっても大勢の子供が遊んでいる。薄手の防寒服のチャックを閉めて、親子でアイスクリームを楽しそうになめている。オレはそんなかわいらしい人たちのかわいらしい夏の慈しみ方に感じ入りながら、公園のレストランで爽やかな夜風に吹かれ、ニシンを食いながらツボルグ・ピルスナーをガンガンに飲んだいい想い出がある。この時期の東京にいるとそんなことばかり思い出す。


物好きついでに、これは随分前に下北沢のレコファンで500円くらいで買った中古CD(『International Airport 〜世界の大空港』SHOBI KIKAKU)だが、世界の主要空港のボーディング・コールなどのアナウンスを録り集めたマニアックなコレクションで、成田とかJFKとかローマ/ダ・ヴィンチ空港などとともに、コペンハーゲン/カストラップ空港や、アムステルダム/スキポール空港のアナウンスなんかも入ってる。


ちなみにオレのメイル・ソフト(Apple Mail)にメイルが届くと、このCDのパリ/シャルル・ドゥ・ゴール空港のトラックからサンプリングした、アナウンスの前の〈ティロリロリロリン~〉というS.E.が鳴るようにセットしてある(笑)。


6.20.2009

マイ・フェイヴァリット・シングス

■梅雨、6月の誕生花バラの季節。毎年、この時期になると思い出す歌はこれ、「My Favourite Things」だ。


〈バラの上の雨露と子猫のひげ。ピカピカのヤカンとぬくぬくのミトン。ひものついてる茶色の包み。クリーム色したポニーとパリパリのリンゴパイ。ドアの鐘とそりの鐘と子牛のシュニッツェルとヌードル。月を背に飛んでくガチョウたち。青いサシェをつけた白いドレスのおんなの子。鼻とまつげにとまった雪のひとひら。白銀の冬が春に溶けていく頃。これがわたしのお気に入りのほんのいくつか。犬が噛んだり、蜂が刺したり、なんか悲しいとき、お気に入りを思い出してみる。そうしたら悪い気分じゃなくなる。〉


自分で訳すより、チャーミングな音楽、チャーミングなレコードだけを頑固に扱うヴィンテージ・レコード・ショップ:DUCKSOUP (ダックスープ)店長古田くんのブログにいい訳があるので拝借したが、彼の文章には続きがある。ブログともども、是非トップ・ページから店内に入って眺めて欲しい(レコード・プレイヤーなんて持ってないから…という人は、〈SAMPLE〉ページでレコードのジャケットを眺めながらいろいろ試聴するだけでも、うっとり楽しい。『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』に出てくるアーティストも大勢聴けます )。


だけどかわいい歌だな。・・・あれ、歌詞に“京都”が入ってないぞ!?


それはともかく、村上春樹『1Q84』の話題で持ち切りのタイミングで、この“Raindrops on roses”の季節がやってきて、頭の中にはジュリー・アンドリュースやジョン・コルトレインのフレイズが鳴り止まなくなった先日、またも『村上朝日堂』が読みたくなった。もう、自分でもおかしいくらい、毎年6月に読むのがほとんど儀式と化している。新作はここしばらく何も読んでいないので全然熱心なハルキストではないオレですが、この『村上朝日堂』だけはそのスタンダード・ナンバーからの連想で、毎年6月に読み返してしまう。それも、いつも“ヌードルを添えたシュニッツェルの話”から。



(・・・全然関係ないことで、かつ全くの私見ですが、村上春樹はアナキストだと思います。オレはあとになって考えると、バクーニンなぞを齧るずっと前の、子供の頃のスナフキン体験と学生のときに読んだ村上が、自分のアナキズム指向の土台にあるように思うのです。だからアナキズムが世界で広く愛されていることも、オレの中では皮膚感覚レヴェルで納得できるのです。熱心なハルキストがみなアナキストかどうかはもちろん別の話ですが)。


で、それは、正確には「ビーフ・カツレツについて」という題のエセーで、内容は有名だから知ってる人も多いと思うけど・・・僕(兵庫で育った村上)は東京に来て好物のビーフ・カツレツを出す店がなかなか見つからなくて困り、次善の策としてウィンナ・シュニッツェルをよく食べている。その“ウィーン風仔牛のカツレツ”は、肉をビール瓶で薄くなるまで叩いてころもをつけ、ひたひたの油で片面ずつ(フライパンで)揚げたもので、その上にレモンの輪切り、その真ん中にはアンチョヴィーで巻いたオリーヴをのせ、上からケッパーも振る。熱いバターをかけ、つけあわせは白いヌードル。これが決まりで、これだけ揃って初めてウィンナ・シュニッツェルである。『サウンド・オブ・ミュージック』の「マイ・フェイヴァリット・シングス」にも「私の好きなものは・・・ヌードルを添えたウィンナ・シュニッツェル」という歌詞が出てくるけれど、そのとおりである。逆に言うと、僕の嫌いなものはヌードルのついていないウィンナ・シュニッツェルということになる・・・という、肝心な部分を要約するとそんな感じだ。


学生時代、アルバイト先で同僚の女の子たちが3人、休憩時間に、「『村上朝日堂』を読んだらヌードルを添えたシュニッツェルが食べたくなった」いう話をしていた。実はオレも食ってみたいんだと、社食のサンマーメンを啜りながらオレも話に同意すると、じゃあ4人で手分けしてウィンナ・シュニッツェルの食べられる店を探そうよということになったが、しかしインターネットなどない時代、誰もそう簡単にそんなものを食べさせる店なんて見つけられなかった。そうしているうちに3人の女の子のうちの2人が、女の子同士のいわゆる“ありがちな”問題で仲たがいしてしまい、最初のシュニッツェル・プロジェクトは頓挫した。で、その問題はしばらくの間バイト先に緊張の入り交じったどこやら甘酸っぱい雰囲気を漂わせていて、それは別に不快でなく、最後はちょっと悲しい結末だったのでよく覚えているが、それも6月の話だった。


とにかく、当時から村上人気は絶大だった。で、“砂漠の狐”ロンメル将軍と食堂車の話からビーフ・カツレツを経てシュニッツェルに到るおいしそうな連続エセーを読み、その料理を未体験だった村上ファンは、いつか食べたい料理のリストに《ウィンナ・シュニッツェル》を確実に書き加えたはずだ。


寿司は日本で食べるのがきっと一番なんだろう。ならばウィンナ・シュニッツェルはウィーンで食べるのが一番なはずだ。が、残念なことにウィーンにはまだ行ったことがなく、結局、オレが最初にウィンナ・シュニッツェルを食べたのはブリュッセルでだった。例の女の子たちとの約束から7~8年後の話で、1人でたまたまぶらっと入った横丁のビストロの売りの1つがシュニッツェルだったのだ。うまいベルギー・ビールを飲みながら、夕刻の街並みを眺めながら、食べた。


思い起こすと、それは想定内の、安心な味だった。叩いた仔牛の肉に火が入った、ちょっとふんわりした触感と、かなり細かいパン粉のついたきつね色の衣のサクッとした感じのコントラストが充分おいしいのだが、1つだけハッキリと覚えているのは、一口目で即、これよりも村上春樹の食べてるやつのほうが絶対にうまいはずだ、と思ったことだ。実際に自分で食べている結構なシュニッツェルの味よりも、村上のエセーの中からしてきた想像上の味の方がうまい・・・(ここにはなかなかリアルな人生訓がある)。


そのシュニッツェルは充分に大きく、味もかわいらしく、ビール2杯とともに満腹になったのだが、致命的だったのは、つけ合わせがストンプだったことだ。そのストンプ自体もうまい(ブリュッセル名物だ、確か)し、シュニッツェルと合うのだが、レモンとケッパーはあったものの、アンチョヴィーで巻いたオリーヴもないし、何より肝心のヌードルが添えられていないのだ。その代わり、好きなだけ食べな、と出されるパンも絶品だったのだが、やはり初シュニッツェル体験としては何とも微妙な気分になったものだ。それも6月の末の体験だった。ヨーロッパの6月は気候も最高で、これまで何度も欧州の6月を過ごしてきたが、歌い出しと合わないせいか、あっちでは「マイ・フェイヴァリット・シングス」は見事に頭に浮かんでこない。


今、『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』の文字校正をやっていて、“ストンプ”という文字を見たばかりなので、それでもまた、ブリュッセルで食べたシュニッツェルを想い出した。その“踊り/リズム”の方はスペルが違うんだけど、カタカナにすると一緒なので、ジャズ原稿の中に“ストンプ”という文字をみると、ほんのり暖かく、ちょっとだけクリーミーなじゃがいものサラダが食べたくなる。この連想からも、おそらく一生逃れられないだろう。


ちなみに土岐麻子の歌う「マイ・フェイヴァリット・シングス」もいい。“Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles”の部分の発音は、何度聴いても軽やかでまろやかで、村上の方のヌードル添えシュニッツェルの味を想像させます。彼女は最近のいわゆるポップ・チューンも全然悪くないけど、オヤジ・ミュージシャン(本物の父親入り)をバックにしてジャズやスタンダード・ナンバーを歌ってる方が好きだ、という話を『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』のデザイナー(前出の古田くん同様、オレの堅気時代・・・輸入レコード屋ですが・・・の同僚)大久と、先日したばかりだった。彼はドイツのジャズ・ギターに関しては世界で指折りの専門家だ。変わったものに興味を持つヤツもいるものだ。


6.15.2009

意思表示

■先日、近くの交番のオマワリが《巡回連絡カード》の件で訪ねてきた。実は数週間前にやってきて、今ここでカードを記入してもらえないかと言うので断ったら、では記入後、ご都合のよいときに交番へ届けて下さいと言って用紙を置いていった(時間的な問題で断ってるんだと思ったようだ)。これまでも毎回カードはゴミ箱に捨ててそれで済ましていたが、今度のオマワリは違った。「まだ届けてもらっていないので回収にうかがった」とのことだった。

その一見物腰柔らかな初老の男は、単純に今までのオマワリより仕事熱心なのか、それとも“常習犯”としてオレがマークされているのか、いずれにしても提出する意志はないので、その旨を伝えた。

《カード》を私どもに提出してもらうと、災害のときなどに役に立ちます。スズキさんのためになりますから、是非提出して下さい。・・・でも、どうしてお嫌なんですか? 私どもに対してご意見があるんでしたら、《カード》の意見・要望欄に書いて、交番に届けていただければありがたいのですが・・・と言う。


仕方ないから一席ぶった。・・・オレは警察を信用していない。組織として、そのやり方として相当に問題があると考えている。そんなあんたたち公務員の給料は税金で、オレもその一部を負担しているから意見する権利がある。テレヴィ・新聞などで常に聞かされる警察の不祥事に怒っているだけでなく、個人的にも何度か、“公僕”のあんた方に不快な思いをさせられている。で、そんな組織から、オレの個人情報を書いて渡してくれと言われてホイホイ書く気になるはずなかろう。そんな警察への不満を書いて、わざわざ交番まで好きで睨まれに届けに行くヤツがどこにいますか?


オレが思うに、かなりの割合の市民はオレと同じように警察が嫌いなんだが、ただ単に、それを口にしない、できないだけです。でも、批判的な意見が聞こえてこないから国民に支持されてると都合よく解釈するのは小泉も多用した詭弁ですよ。ほんの一例だけど、全国交通安全運動とかいってさ、車のスピードをつい出したくなるような場所に立ってて指導するならまだしも、道のその先に隠れてんのって、公僕のやることじゃないでしょ? このへんの歩道を暴走する危険な自転車は見て見ぬふりで、そのすぐ脇で婦警が路駐の車のタイヤと地面にチョークでこそこそやってんの、みんな見てるんだよ。本当に市民の安全を考えてんなら、すぐ脇で歩行者の間を傍若無人にビュンビュン走ってく暴走自転車と、そこのエンジン停まってる車と、先に指導すべきはどっちよ? つまりあんたらのやってることって、市民の安全のためじゃなくて、あんたらの“点数”のためじゃん。そういうのを見てる人間に対して、「みなさんの安全のためにこの《カード》のご記入を」つって、誰が言葉通りに受け取りますか? まあ、記入する以前に、こういう風にたてつくオレの素性なんか、バッチリ調べられるんだろうけどさ(オマワリ:いえいえ、そんなことはありません)。


とにかくオレは、この政治システムや、役人に対してもそうだけど、警察のあり方に対しても否定的なんですよ。オレらの税金から給料貰ってるあんたたちが、何故かオレたちより偉そうに、強そうにしてるでしょ? で、それに対して不満を述べようにも、この“民主主義”の国では、実際問題そういう思いを、直接的に、安全に、表現する機会が与えられてないんですよ。オレは暴力に反対だし、交番に火炎瓶も投げないし、だからせめてこの《カード》を出さないことでささやかな意思表示をしてるんですよ。あんたたちに対して、この程度のことしかできないんだよ。哀れでしょ、善良な市民って。だから怠慢で提出しないんじゃなく、積極的に提出しないし、かつ、訊かれたから、敢えてその提出しない理由まで説明してるんですよ・・・と強がってみても、所詮、これって消極的な抵抗なんですけどね。ま、むなしいけど、そういうことですから。


という話をしている間、オマワリは何度かオレにやんわりと説得を試みたが、この件ではどう見てもオレの論理の方が正しいので、結局、では、また、もし気が変わったら提出して下さいよ、と言い残して帰っていった。


玄関口で家の中を覗かれながらオマワリと30分も立ち話をするのは決して心躍ることではないが、だからといってオマワリの言いなりになるのはそもそもおかしい。それに、オマワリの所業を無視して生きられるような鈍感な人間にコンヴァートするには、これだけ生きてりゃもう遅い。


(参考資料1)

http://www.youtube.com/watch?v=MBI5j-jFs1U&feature=related

(これが放送禁止になる国だぜ! 怖過ぎる・・・)


(参考資料2)

http://a.sanpal.co.jp/irregular/images/shokushitsu.pdf


6.13.2009

現金があれば何でもできる



■できるけど流石にこれはやらない、っていう品性のありようがあるんじゃないのかい? スポーツマンシップって何だっけ?



6.09.2009

サパティスタ

Autonomy !
(この地球上最悪の偽善ショウの翌日とあらば、なお一層、彼らの存在価値を実感できる集会になることでしょう。・・・行ける人がうらやましいなー)

チラシ(PDF) 

6.08.2009

リー・ペリー

■狂った世の中とバランスを取って生きていくには、逆方向から、同じ程度狂っている必要がある。リー・ペリーに会いに来る連中は大体そんな感じで狂っていて、会場はとても健全なヴァイブレイションに満ちている。狂人は、狂人の音楽を聴いても、自分もそういうタイプの狂人ゆえに、格別驚くことはない。ただただ、その年季の入った、澄んだ狂いっぷりに感服し、憧れる。

オレは、正確には覚えていないが、リー・ペリーを少なくとも10回は観ている。でも、昨日はその中でもかなりいいステージだった。73歳のペリーは実にエネルギッシュで、優しい顔をし、明晰さをもって狂っており、実に端正にキレていた。

友愛に満ちた毒気をまき散らしていた。


で、そのペリーの毒気は、オレたちを解毒する。

で、オレは今日、昨日よりもまた少し、狂う。


6.04.2009

死刑(2)

■先日エントリー《死刑》で触れた足利事件の菅家さんが、つい先ほど釈放されたようだ。彼は誘拐殺人犯として起訴され、裁判で無期懲役が確定、今日まで17年半もの長きに渡り、冤罪の被害者として自由を奪われていた。我々は、これで警察と検察がどういうコメントを出すのか、注目する必要がある(連中を税金で食わせているのだ)。それから、もしも菅家さんに下った判決が無期懲役ではなく死刑で、そして既に刑が執行されていたとしたら・・・という可能性についても、少しの想像力を働かせてみるべきではないだろうか。裁判員として招集される前に・・・。


以下、Yahoo!ニュース/YOMIURI ONLINE 6月4日17時6分配信ニュースの全文。



釈放の菅家さんが会見「警察と検察、絶対に許せない」

6月4日17時6分配信 読売新聞


 栃木県足利市で1990年、当時4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」で無期懲役が確定し服役中だった菅家(すがや)利和受刑者(62)が4日、千葉刑務所から釈放され、同日夕、千葉市内で弁護団と共に記者会見を開いた。


 菅家さんは、「当時、急に犯人にされました。自分としては全く身に覚えがありません。無実で、犯人ではありません。これだけははっきりと言います」と語り、改めて無実を主張した。


 また、警察、検察に対しても、「間違ったでは済まない。この17年間ずっと思っていた。当時の刑事、検察官には謝ってもらう。絶対に許すことはできない。自分の人生を返してもらいたい。父も母もつらかったと思う」と怒りをあらわにした。


映画(試写)





■映画評を書く仕事を、最近あまりやらなくなった。『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』には都合1年半近くかかってしまったのだが、時間に追われて本を作っている期間は、誘っていただいた試写に行って、そのレヴュー原稿を書き終えるまでの間に本の作業が途切れてしまうことがあまり望ましくない。それに純粋に趣味で観たいフィルムは自費で観るべきで、それなら別に急ぐ必要もないし、その多くは三軒茶屋シネマか三軒茶屋中央劇場に落ちて2本立てになるから、そのときにまるっきりノー・マークの映画と抱き合わせで1000円ちょいで観るのが、ぼくにとって正しい。“二番館、三番館に落ちて2本立て上映”という様式に21世紀の今も・・・というか、そんなのが稀になった今だからなおのこと、愛着を感じる。だいたい、“落ちる”という動詞をここまで愛おしく感じることは、昨今、他の文脈においてはほとんどない。


もう1つ、試写会に行かなくなってしまった深刻な理由がある。ぼくは『ミュージック・マガジン』で毎月レゲエのアルバム・レヴューを担当している(立派な大人は、“させていただいている”って言うんだっけか)。そのレゲエのレヴュー対象音源は毎月、編集部からドスンと送られてくる。ぼくはアイテムを一切選ばず、送られてきた箱を開けて片っ端から、先入観を持たず機械的に聴いていくのだ。で、今もたまに映画評を書いているのも『ミュージック・マガジン』にだが、その場合は、編集部から依頼されることもあれど、基本的には自分の選択に基づいて試写を観て、これは紹介したい作品だと思ったときに編集部と相談する形を取る。つまり、試写を観たのに自分からレヴューする気にならなかった場合はそのまま観たっきり、である。というか、そういうケースの方が数としては多く、結果的にタダで観させてもらうことになり、若干気が引けることになる。“本職”の映画評論家なら、それがどんなフィルムだろうとあらかじめどこかに“書く枠”が用意されてるんだろうし、嫌いな作品については論じない、というスタンスでは食べていけないだろうから、当然どんな作品でも“プロ”なりの書き方、論じ方があるんだろうが、ぼくの場合はあくまで映画は副次的な対象だし、わざわざ否定的な感想・意見を書くために誌面枠をもらうというのも気が乗らない。そこまでして仕事を得るというのも、そもそも感じのいいことではない。


さらには、試写を観終わった直後に、会場で配給会社の人から感想を求められるのも、全然好きになれなかった作品の場合には相当苦痛なものだ。そういう映画を最後まで見通すこと自体に疲れているのに、先方のその大切な商品に、なんとかぼくが好意的にコメントできる要素を探したり何かをこじつけたりしながら、その立ち話の場を取り繕うのもさらに疲れる。
京橋駅近くの映画美学校(建物も学校内も雰囲気がいい)の試写室に行くのは大好きだが、一度、そこで巨大資本が投じられた大味・大仕掛けのハリウッド映画の試写を観て暗澹たる気持ちになり、配給会社の人と目が合わないようにこっそり学校を抜け出して駅に向かったら、後ろから大声で名前を呼ばれ、地下鉄の階段の途中まで追っかけてこられたことがあって、そのときは凄くしんどかった。
あるいは、試写会場からうまく逃げ出し、気を取り直して食べたい食材を買って家に帰り、好きなレコードをかけウィスキーを飲みながら夕食の支度をして気分も直ったと思った瞬間に電話がかかってきたこともあった。「本日は、お忙しい中、お越しいただきましてありがとうございました! それでー、いかがでした?」・・・。外まで追っかけてきたり、家に電話までしてくるのは、ほぼ例外なく、バジェットのどデカい娯楽作品を鳴り物入りで宣伝している大きな配給会社の人だ。そういう“真剣”なお仕事に、興味本位で顔を出したこちらが悪かったんです、すみません。
「つまんなかった」とだけ言って話が終わるなら簡単だが、実のところ、「面白かった」「素晴らしかった」の理由を述べるより、「つまらなかった」の理由を述べる方が、会話の上では遥かに難しいのである。


というようなことが何度も重なったせいで、今もいろいろな会社の方々が試写の案内を送って下さるのに、観たあとの様々なストレスが苦痛で、ほとんど試写会に行かなくなってしまった。


しかーし、このブログを始めてひらめいたのだが、本当に観たい映画だけ観させてもらって、たとえ雑誌で書かなくても、ここで紹介すれば何かしらのお手伝いにはなるだろうし、こちらの気分としても、タダ観の後ろめたさを感じなくて済む。初めてこのブログの具体的なメリットに気がついたので、ちょっと気分がいい。


実は最近届いた数々の試写のお誘いの中で、どうしても観たいものが2本あったのだ。どちらもぼくにとっては“間違いない”作品で、その2本とも、ザジフィルムズさんの配給作品だ。『地下鉄のザジ』(これを配給するのに、ザジフィルムズさん以上の会社は他になかろう!)は公開50年後の完全修復ニュープリント版だというから、今まで10回くらいは観たけど、11回目以降はニュープリント版で観られるわけだ。『地下鉄のザジ』は熱狂的ファンの多いいわゆるカルト・ムーヴィーで、だからファンは原作者のレモン・クノー(レーモン・クノー)のこともご存知でしょうが、『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』には、クノーのかの有名な著作『文体練習』を舞台化したもののサウンドトラック盤にヴィアンが書いた解説原稿も入っていますのでお楽しみに。・・・それからパティー・スミスのドキュメンタリー作品『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』も、彼女の知られざる素顔を垣間見られるという前評判を聞いていたので楽しみにしていたのです。ザジフィルムズさん、タイプです。どうぞよろしくお願いします。

6.02.2009

死刑

■永山則夫が4人を射殺したいわゆる永山事件の死刑判決文が、その後の死刑判決を下す際の大きな基準になってきたと言われている。しかし、そもそもその“基準”という概念自体が、死刑判断の危うさを自ら語っている。それを元に考慮する、という行為に入り込み得る恣意の存在を顕在化させるからだ。生命という人間の根源に関わる取り返しの利かないポイントに、恣意が紛れ込む余地などを作ってはダメなんじゃないだろうか? “基準”を元にその都度考える、という行為自体の“危険性”を断じないでいられるのは何故なんだろうか?


被害者遺族の感情は、量刑の決定の際に過不足なく考慮されるべきだと思う。愛する者を殺された遺族が、容疑者は鬼畜、悪魔だ(人間じゃない、この世にいて欲しくない)、という感情を持つことに対して、同情することは全く難くない。しかし被害者遺族の中には、服役囚がその命朽ちる瞬間まで刑務所で反省し、罪を償い続けることを希望する人がいることもまた事実だ。ということは、被害者遺族の感情を必要以上に量刑に考慮するということは、場合によって判決を死刑に近づける場合も遠ざける場合もあり得るということであり、それは、死刑判断の“基準”という概念とは馴染まない。“被害者遺族の感情”と、“死刑判断の基準”とは2つの別のものであり、前者が後者の客観的妥当性を危うくすることはあっても、それを強化する方向へは働かないと思うのだ。


死刑制度とは、人間が、同じ人間の命に合法的にどこかで線を引いて殺すことであり、それをするならば、その線引きはどこまでも厳格で、極めて普遍的な(そもそも、“基準”などではなく)“決まり”に基づかなければならないはずだ。誰一人誤解し得ない、どんな立場のどんな人間の曲解、恣意的判断、拡大解釈も絶対に許さない、客観性においてMAXに明快な決まりでなくてはならないはずだ。


しかし、死刑制度が存在する中で、そんな“MAXに明快な決まり”などあり得ない。裁判長が、実際にその読み上げる判決文で、犯行の残虐性や遺族の被害感情、世の中へ与える影響といった、程度が多分に曖昧で抽象的な客観基準を量刑判断の理由の一部に盛り込んでいるという事実が示している通り、人間の感情も、世の中の空気的なものまでも、1人の人間(被告人)を(合法的に)殺す理由の中に、大なり小なり含まれ得るのである。そのことが何故肯定されるのかが、ぼくには全く理解できない。ときと場合によって、1人の人間(被告人)を合法的に殺す理由にブレが生じ、そしてこの2009年5月から、そのブレの一端を裁判員制度によって、シロウトの民間人にもかつがせようとしているわけだ。これは、どちらかといえば明らかに、《人の命を真剣に考えない方向》を向いた施策だとしか思えない。全く同じような状況下で起きた20年前の殺人事件の被告は無期懲役となり、今後は死刑になる・・・そんな可能性(この場合の“可能性”とは、人の命に関わる問題である以上、限りなく“間違い”と同義である)を許していいんだろうか?


もしも、死刑の運用に関わる“誰の目にもMAXに明快な決まり”を構築し得るとしたら、理論的に、それは、他者の生命をどう扱うかという考え方に敷衍したときの、極めて明確な、以下のたった2点の上にしか立ち上がってこない。


1:人はいつでも誰でも好きなように他人を殺してよい

2:人はたとえどんなことがあっても絶対に他人の命を奪ってはいけない


1の決まりを作ることは現実問題としてあり得ないが、1と2の間に位置する、“条件つきで殺すことが肯定される”というあらゆる考え方は、その条件に絶対的な普遍性を構築できない以上、人の命を扱う考え方としては、総て、等しく、危うい(*)。これだけの残虐な罪を犯した者は、その命をもって罪を償うべきである、という判断を司法が示すときに、その“死刑に値する罪”と、“ギリギリ死刑を免れる罪”との間の境界線を、どんな裁判であっても、きちんと寸分のブレもなく維持できると誰が断言できるのだろう? もしそれを確実に維持できないのならば、現制度は、別の裁判官ならば下さなかっただろう死刑判決を、今日までに少なからぬ数、生じさせてきた可能性があるということになる。もしそうなら、それは制度に対する反省を求めずに済むことではないはずである。

死刑は(国家が国民を使って行う戦争と同様)上記2点の間にあり、人を殺すことに対して国がお墨つきを与えるものだが、はて、その理由に絶対的な明確性と説得力を伴う、誰が見ても“きちんと正しい死刑”はあり得るのだろうか? あり得ることが納得できたら、ぼくは賛成することに決めている。


(*)正当防衛による不慮の殺人や医療機関における安楽死の補助などは、その中の極めて限定的な例外として考えられると思う。



それまでの間は、刑法上に“きちんと正しい終身刑”を整備して欲しいと願う。絶対的終身刑の論議には、服役囚を収容する刑務所の場所(スペース)や諸費用の問題がつきもののようだが、その建設費用やあらゆる経費だって、役人と政治屋の国費の浪費分、第三セクターのけったいな箱物の無駄と累積赤字を考えればたいした問題ではないはずだが・・・もし、それらの経費に(つまり“罪人の命を生かしておくこと”に)一定の税金を投じるとしても、それは国家の、国民の命に対する扱い方としては至極真っ当なものではないか。・・・それ以前に、国家が国民の命を論じるときに“費用問題”が関わってくるとしたら、そのこと自体、信じ難いのだが。


それに、絶対的終身刑は、死刑と違って“受刑者”と“事件”を両方同時に闇に葬り去らない。だから、今問題になっている足利事件が孕んでいる可能性のように、後年判決の“誤り”が明らかになり、自身の無実を主張し続けてきた受刑者が汚名を返上できる可能性を抹殺しない。犯罪捜査と裁判の段階で“判断の誤り”が生じる可能性が100%否定できないなら、その“誤り”は、たとえ時間が経っても明るみになる必要がある(それで都合が悪いのは警察、検察、裁判官だけだ)。その権力側の誤りを明るみにできる可能性が権力によって制限される国など、そもそも暮らして安心な国であるはずがない。


量刑の重さに関わらず、裁判員制度に関して懸念していることをもう1つ書き加えておきたい。有罪が確定した案件で、のちのち捜査手法のインチキかミスが判明、それが冤罪だったことが明るみになった場合、その裁判に参加して有罪を主張/支持した裁判員が被る可能性のある自責の精神的な苦しみを国はどう考えるのだろうか? それとも、あなた方お上は、その程度のことで良心の呵責に苛まれたり、一生後悔の念を引きずって気に病んでしまうような精神的に“ヤワ”な国民は、この国の国民として不適格だとのたまうのだろうか。それなら(ここまでお読みになってお分かりのように、ナイーヴな)ぼくは、おそらく、不適格ですよね。


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とうとう裁判員制度が始まったが、オレのところに“封筒”が来たら、大体こんな意見を書いて返信しよう・・・と思っていることを下書きしてみた。裁判員制度のみならず、死刑制度の存続自体に頭から疑義を持つ人間をお上はどう扱うのか、見物だ。それとも、最初のアンケートの中にそういう厄介者を排除するための設問でもあるのかしら? それで裁判員にならずに済むんなら、差し当たりの問題については話は早いし、もしそれでも招集されたら、被告が何人殺した凶悪犯であれ、オレはそいつと同じ“人殺し”にはならない。この国でも、人殺しにならない自由くらいは保証されているはずだ。