3.27.2013

ローリング・ストーンズの20年前に「ハーレム・シャッフル」をカヴァーした男

■03月25日、好事家としては、ちょっと楽しみにしていたソウル・ヴォーカル・トリオがデビューした。その名は《Vigon Bamy Jay(ヴィゴン・バミー・ジェイ)》。アルバム・タイトルが「Les Soul Men」というベタさで、それにこの宣材写真じゃ、老いらくによる『Les Soul Men』という名の青春再生映画のポスターに見えちゃうのだが、これ、3人とも歴としたフランスのソウル・シンガー。


その3人が組んで制作したアルバムが、またソウル〜R&B名曲集という、これまたぞっとしない“売らんかな”企画。レコード会社が昔のグループを再結成させたり、ベスト盤、企画盤を乱発してなんとか食いつながなくちゃならない苦境は世界共通だ。

でも逆に考えると、この3人は、そういう企画を立てれば売れるだけの人気者、ってことなんだが、この中にぼくが前々からちょっとファンだった男がいて、こんな機会ではないと彼のことを紹介することもないだろうから、同好事家のために手短かに。

ぼくが好きなのは一番左の黒眼鏡の男ヴィゴン。彼は1945年にモロッコはラバで生まれた。現在67歳。モロッコ生まれのソウル・シンガーってわけだ。

で、彼の凄いところは15歳くらいでその歌唱力をパリで認められ、《バークレー》からレコードを出し、その後、ボ・ディドリーやオーティス・レディング、スティーヴィー・ワンダーやローリング・ストーンズのパリ公演の前座を任され、遂にはモロッコ生まれの18歳仏人歌手として、当時の《アトランティック》と契約するにいたったことだ。

その60年代の彼の人気を決定づけたといわれるヒットが、ボブ&アールの「Harlem Shuffle」のカヴァー。


これが1967年のパリ。当たり前だけど、“イェ・イェ”ばっかりじゃなかったのだ(実はR&B指向のフランスの歌手はたくさんいた)。

ローリング・ストーンズがこの曲のカヴァーをシングルでリリースしたのが86年だから、そのおよそ20年前のことになる。で、フランスでは、ストーンズの(ボビー・ウォマックがコーラスで参加してるという)あの名カヴァーを聴いたときに、みんな「あー、ヴィゴンのアレね」と言ったというくらい“ヴィゴンの曲”なのだ。それに60年代に、パリ公演の前座でヴィゴンが歌う「ハーレム・シャッフル」を、舞台袖でストーンズの面々が聴いていたかもしれないしね。

そして、これは同じくヴィゴンがそこから約45年後、TV局〈カナル・プリュス〉の特番で歌った現在の(!)「ハーレム・シャッフル」だ。



ご覧のように今の方がキョーレツにカッコいい、ってわけで、1949年生まれの名歌手エリック・バミー、あと(二人が苦しくなった高音部を担当するために・笑)パリ郊外の実力派若手ヴォーカル・グループ〈Poetic Lover〉のジェイを加えて、今回の《ヴィゴン・バミー・ジェイ》が誕生した。


リード曲は、これまたベタなモーリス・アルバート「Feelings」のカヴァーなんだけど、ダメだ、ベタすぎて単純なオレはまんまと持って行かれる。腹を見せて寝ころんでしまう。(少なくともこれ↓は大画面でどうぞ! 音も素晴らしいし、映像も美しい。ニュー・ヨーク、ロンドン、パリと、3大都市で色男が苦悩しまくる壮絶な失恋歌が展開されている)


歌い出しがグアドループ生まれのエリック・バミー、次が今風のパリの若者ジェイがネオ・ソウルの教科書通りに盛り上げたあとに登場する、イカしたオールドタイマー:ヴィゴンのフランス語パートが最高じゃないですか! カフェをかき混ぜながらフランス語でこのシャウトする絵が許される、つう。

おととい発売となったアルバムは、まだ日本ではフィジカルはおろか、ディジタル・リリースの試聴すらできないので、フランスのiTunesミュージック・ストアに行くしかないけど、まあ、ざっと試した感じ、3人のなかなかセクシーないい歌が聴ける。でも選曲はほんとベタ。その苦々しさも楽しさにできる、その意味でも気骨ある好事家向け。

3.08.2013

《Actipedia(アクティペディア)》始動!

《Actipedia(アクティペディア)》、すなわち、アクティヴィズム(直接行動主義)用の百科事典(encyclopedia)。

〈wiki〉システムを使用して、インターネット上のウェブペイジに誰でも書き込め、訂正できる《Wikipedia》が作られたように、その項目をアクティヴィズムに特化した《アクティヴィズム百科事典》だ。


(収録される事項の、カテゴリー分類⇩)



世界的に有名なイタズラ・アクティヴィストの王様で、日本でも特に松嶋×町山 未公開映画を観るTVのファンには“お笑いテロリスト”としておなじみ、またコンバ - オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアルでも彼らの作ったニセ新聞の話などを紹介している〈 The Yes Men 〉が運営するアクティヴィズムの戦略研究所《 The Yes Lab 》と、ニュー・ヨークの《センター・フォー・アーティスティック・アクティヴィズム(Center for Artistic Activism 》が共同で準備してきたものだ。

この専門事典が一般公開されるやいなや、世界中から、これまでに実施されたアクション、あるいは開始され継続しているアクションに関して、既にどんどん書き込み(=事典に項目が追加)されている。

これは実に素晴らしいアイディアであり、ランダムに見ていくだけで実に楽しく、勇気が出る。みんな、こんな専門事典を待っていたのだ! 世界中で人間はいろいろなことに苦しめられており、それに抵抗するために、いろいろな策を講じて実践している。それまとめた事典を“楽しい”と形容するのは多少問題があるが、でも、この事典が示す世の中は、これまでより間違いなく楽しい。

もちろん中には“支配者”の理不尽に怒りを覚えるものもあるし、見た瞬間に胸が締めつけられ、涙が出てくる項目もある。
たとえば、これは1991年にエイズで大切なパートナーを失ったアーティストが、ニュー・ヨーク市内の20箇所超のビルボード(大型野外広告ボード)に、こんなベッドの写真を掲げて市民にメッセージを送った、というアクションを記した項目だ。
厚生労働省のHIVへの注意喚起対策も必要には違いないが、こうした写真(アーティヴィズムの手法)に、学者と役人の作った文言よりも遙かに直裁的で雄弁なパワーが(それが全能ではないにせよ、意識喚起のためには実に有効なパワーが)あることを否定する人は少ないだろう。

一方で、この“百科事典”の中には本当に笑っちゃうようなアイディアもあるし、こんなんで効果あるのかね、というようなものもある。どこまで本気か、ふざけているのか分からなくても、そういうおかしな、ときに荒唐無稽なアクションが笑い話として広まることで、みんながその背景に横たわっている〈抑圧/被抑圧〉の構造を認識することに繋がる効果を狙っていたりするのだ。

この最新のウェブ専門事典《Actipedia(アクティペディア)》のモットーは、彼らが今回発表した声明文の中から抜き出すなら:

《To change the world we've got to learn from each other.(世界を変えるためには、お互いに学ばなくちゃならない)》

ということになるだろう。

ぼくが先日翻訳出版した『コンバ - オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアル』は、この《Actipedia(アクティペディア)》と全く同じフィロソフィーを持っている本なので、当然トピックの重複も出てくる。

その『コンバ』の刊行と《Actipedia(アクティペディア)》のスタート時期が同時になったのも偶然ではない。どう見たって、これからの世の中、そっちの考え/方法論/生き方に重きを置くようにならないといけないのだ。

そうでなかったら、いつまでたっても我々は、やられっぱなしのままである。

〈権力にオマエの人生を献上すること、それが幸せというものだ・・・〉という催眠術にかかったまま、そのうち、彼らの望み通り、蒙昧の闇に永眠するのだ。

★0310 原発ゼロ☆大行動

■あさって、今度の日曜、0310。


もうあれから2年。
ぼくは昨日、東北新幹線に乗っていた。福島と郡山の間で、車窓から目に映るあらゆるものに目を凝らすも、すべてが、2年前に何も起きなかったかのように存在していた。

「見えない・聞こえないから〈済み〉」になるのならば、確かにその最良の方法は、見ない・聞かないことだ。そして、何も目に見えない中、新幹線は高線量の中を、いつも通り走っていた。

見えないものは怖くない、と考える/自分に言い聞かせるのも、処世の術のひとつだ。確かにそう考えないと東京のスーパーマーケットで買い物ができない(そこで買い物をしないで生きる術がないのかどうかは、また別の話だが)。

その一方、敵が目に見えるならば、そいつに抗議ができる。
騙されねえぞ! と叫ぶことができる。

(クリックで拡大。元ペイジ、詳細は⇩)

当日プログラム出来ました!


PDFファイルでダウンロードできます。(20130310PGM.pdf (1.3MB)