■昨日、昨年の311以降は原発問題とデモのお知らせなどがトピックの中心になってしまい、このブログ上であまりに普段の自分の仕事を紹介していないことにハタと気づいたので、忘れないうちに今月3月に世に出た仕事を紹介しておこう、という、今日のエントリーはそういう趣旨です。
(↓こんな風に、硬軟取り混ぜ、書いて、生きてます。どっちかに偏ると自分の精神内バランスが悪くなるので、こんな感じがちょうどいい……)
まずは、児玉雄大・編『Shall Weダンス?―3・11以降の暮らしを考える』(メディア総合研究所)
*概要
□サイズ種別:46判並製
□ページ数 160
□ISBN 978-4-944124-52-7
□価格 1,200円(本体)
□出版日 2012年3月6日
*内容
本書は、ミュージシャン、学者、文筆家、古本屋、なんとも名づけ難い職業?といった、ジャンルも生活背景も異なる人達の協力のもと、誰もが正解を持ちえない「3・11以降の暮らし」を考え、言葉を紡ぎ、語りを紡いだ、ひとつの物語である。 どう転んでも「死ぬまで生きる」のが人生。楽しいことも悲しいこともギュッと抱きしめながら、僕らは僕らの踊りを踊っていくしかないのかもしれない。だから、Shall we ダンス?
第一章 おまえの明日は誰が決める
「ストリートの思想からエコゾフィーへ」 毛利嘉孝
「自由とコミュニティーのこれから」 こだま和文×磯部涼
「てきやてき」 ハーポプロダクション
第二章 でも・デモ・DEMO
「One Step To Live」 Likkle Mai x Rumi
「抵抗と理性のはざまで」 二木信
「『END : CIV』-問題解決法の選択肢としての、暴力直接行動の是非」 鈴木孝弥
第三章 終わりのないダンスはつづく
「龍二と忠治」 平井玄
「気流の鳴る方へ」 気流舎店主
この本の中で、ぼくは話題のフランクリン・ロペス監督作品映画(これ)
に関して書いています。すなわち、政治が地球を破壊する行為に加担し、地球と我々の命をカネよりも遥かに軽んじている場合(今の日本がまさにそうですね)、かつ、市民が選挙に行き、陳情し、デモなどを行ってその暴挙を止めるよう頼んでも事態が何も好転しなかった場合、権力側の“狂乱”を止めさせ、我々の棲む地球を守るためには、最後は暴力に訴える以外にその術はないのではないか? というこの映画の主張について考えました。
とにかく、ぼくはこの本のぼく以外の書き手・語り手全員のファンなので、黙っていてもこんな本がタダで向こうから送られてくるのは夢のような話だ。
4月5日には渋谷《アップリンク・ファクトリー》で出版記念イヴェントあり。
次に文藝別冊『ボブ・マーリー』(河出書房新社)。この文藝別冊のムック・シリーズは〈赤塚不二夫、マイケル・ジャクソン、黒澤明、忌野清志郎、荒木経惟、グレン・グールド、石井好子、マーラー、梅棹忠夫、中上健次、マイルス・デイビス、花森安治、ジョン・コルトレーン〉などなど、錚々たる偉人たちを取り上げてきたが、とうとうそこにボブ・マーリーが仲間入りしたことがよろこばしい。
ぼくはここで〈プロテスト・シンガーとしてのボブ・マーリー〉というお題をいただき、嬉々としてモリモリ7000字ほど書いた。
ぼくの原稿の直前が、関西学院大学社会学部教授のおなじみ鈴木慎一郎さんによる「音楽と血と土地と~ラスタの来し方、行く末」と題されたテクストで、そこにぼくの「政治と宗教を包摂した〈バビロン・システム〉との闘い~プロテスト・シンガーとしてのボブ・マーリー」が続いている。慎一郎さんとぼくはそれぞれの文中で同じ曲の同じポイントを取り上げていたり、テクストの締めもほとんど一緒で笑っちゃうのだが、だからこそ、ぼくの少々血の気の多い断言的トーンと、慎一郎さんのクールで思慮深い筆運びとの差が露骨に出ている・笑。
先日、菊地成孔さんが持ち上げてくださったお陰で、ぼくをカタカナ表記に相当うるさい人物として認識してくださる方が出始めているようですが(それ自体、合ってるので、はい、結構です)、それなのにぼくのこのマーリーの文中にはカナ表記の不統一が生じている(!)ので自分のささやかな名誉のために言っておきますが、これはぼくのミスではないです。ついでに、目次部分のぼくの名前が〈考弥〉と誤記されていたり、送られてきた見本の表紙の角が折れていたりして、最初から読む気分がまるで盛り上がらなかったが、一旦(慎一郎さんの原稿から)読み始めたら止まらなくなってしまった。最後に出たんだから、そうでないとおかしい、と言われたらそれまでだが、知っている限り、日本で作られたマーリーの本でこれが一番面白いし、内容が濃く、つまらない水増しペイジがない。「自分はそんなマニアじゃないし…」というような人は、これ1冊でいいと思います。
最後に、ディスク・コレクション『ガール・ポップ』大久達朗監修(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
昨日送られてきたばっかりで、さっきパラッとめくっただけだが、本の真ん中らへんを開けてみると、そのペイジに〈マルティカ〉〈ティファニー〉〈デビー・ギブソン〉〈エイス・ワンダー(パッツイー・ケンジット)〉が並んでいたりするので、「うわー、懐かしいなー」と思うか、「そんな本、今、読む意味あんの?」と思うか、「えーっと、一人も知りません」となるかに分かれるだろう。そういう分かれ方が、健全で、自然だと思います。
女性シンガーのアルバムだけ500枚以上(この本が“ガール・ポップ”という言葉にどう向き合っているかは書中に記されている)、それも1950年代から現在まで(パティ・ペイジからレディー・ガガまで)を扱っているこの本の中で、ぼくは60余枚のアルバムをレヴューしました。書いたのは・・・
リンダ・ルイス、ミニー・リパートン、トレインチャ、メイシー・グレイ、リサ・スタンスフィールド、アーマ・トーマス、パトリース・ラッシェン、ア・テイスト・オヴ・ハニー、カーリー・サイモン、ジャニス・イアン、エディー・ブリッケル(&ニュー・ボヘミアンズ)、トリスタン・プリティーマン、ヴァネッサ・パラディ、トレイシー・チャップマン、テクサス(シャーリーン・スピテリ)、ベス・オートン、ベス・ギボンズ、フェアグラウンド・アトラクション、ダナ・グローヴァー、ヴァネッサ・ダウー、アンナ・カリーナ、ジャンヌ・モロー、フランソワーズ・アルディー、ケレン・アン、エレナ(・ノゲーラ)、エンゾ・エンゾ、ヌーヴェル・ヴァーグ(バンド)、アトランティック、アクセル・レッド、テリ・モイーズ、ナティーヴ、コラリー・クレマン、カミーユ、ヤエル・ナイム(あ、今夜『最後から二番目の恋』最終回だ!)、アングン、カルラ・ブルーニ、インディ・ザーラ、アヨ、ミリー(・スモール)、クロディーヌ・ロンジェ、ミスティー・オールドランド、キス・オヴ・ライフ、マリア、ガブリエラ・アンダース、ノラ・ジョーンズ、バーシア、アストラッド・ジルベルト、ビョーク、カーラ・ボノフ、マリアンヌ・フェイスフル、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン。以上(同一アーティストでアルバム2枚、3枚レヴューした人もいる)。
これ、編集サイドから音をドーンと渡されて、「聴いて、書いて」と言われたわけではなく、全部自分のCDラックに入っている所有物をレヴューしています。正確に言うと、ラックに収まっていたのは昨年の311までですが。壁に針金でしつこく留めていたラックが地震の揺れで見事に倒れたせいで、怖くてそれ以降CDを床に山のように積んでおいた中から探し出したものです。この仕事で一番大変だったのは、その山からCDを探すことだった。聴いて書くのは、それは、楽しい仕事でした。で、つまりこの人たちはみんな大なり小なり好きな歌手なわけですが、中でも最もファナティックに愛しているのはリサ・スタンスフィールド。