3.20.2010

はなうつ

■この一週間も、ブログに書きたいことがいろいろあったのだが、どうも書く気がしない。の前に、いろんなことにやる気が出ない。また、毎年のアレだ。この国では《花》といえば《桜》のことらしいので、だから、オレは《花鬱》と呼んでいる。

桜の開花宣言だのなんだのという話を新聞やテレヴィで目に耳にし始める頃から、毎年、胸のあたりに“もや”がかかり始め、その裏側の、肩から背中の上半分に常にザワザワとした軽い悪寒が貼り付き、口のまわりに軽い痺れの輪っかがカパッとはまって、その影響で鼻も目も頬骨のあたりも広範囲にわたってダルくなる。ほぼ一日中。

要するに、オレは桜の花がかなり嫌いらしいのだ。正確に言うと、好き嫌いの前に、生理的に拒絶反応が出るので、当然、さくらの現物を見るのも、その花のついた木の下を通るのも、それどころか、その話を聞くのもダメだし、それ讃美の森山なにがしとかコブクロとかの暴力的に胸を圧迫してくる殺人的な歌を耳にするのも極めて危険だ。さいわい視力がよくないので、遠目にピンクの“わた”みたいなぼんやりした塊を見る分にはさほど不快感はないが、花や花びらの形を目を通して知覚するのはもちろん堪え難い。路上に散った奴らを目にしただけでも、歩きながら呼吸することを忘れてしまってしばしば倒れそうになる。

昔から、“花より団子”などという“花”の風情を解さない日本人を揶揄する表現があるが、そういうのを耳にするだけでもかなり深刻なストレスを覚える。オレは日本人じゃなくて全然結構だ、と思う(・・・正確に言うと、どこの“国”の人にもなりたくないんだが、今のところ、税金払ってるんだから、菊紋のついたパスポートだけは持たしてくれ)が、というのも、オレは“花より団子”という常套表現の意味の“肝”の、それ以下の人間らしいからなのだ・・・“花”を見たら、団子すら食う食欲をなくすのだから。つーか、それが咲く前に、開花予想なんつう言葉を聞いただけで、食欲が自然になくなってきて、普通にしているつもりなのに、(毎日体重計に乗っているが)この1週間で2キロ以上体重が減った。

(いつにも増してローカルな話題ですみませんが)今日の昼、千代田区の神保町に古本と古レコードを眺めに行って、正常な生活周期なら今日は〈まんてん〉でコロッケ・シューマイ・カレーを食って攻撃的に腹10分目になりたいタイミングだったのに、悩んだ末にそれをおいしく食べきる自信がなくて、昼食を神保町で次に好きな店〈いもや〉の天丼に変更し、それをいつものように静かな興奮のうちに食べきったのだが、あの安定した一品を食べても、オレの味覚はいつもよりもあの人懐こい滋味を楽しく感じられなかったのだ。
・・・食に対してオレと同種の感覚を持っている読者ならば、その表現だけで、オレがどんなに、もう既に弱っているかが分かってもらえるんじゃないだろうか・・・・。

今日、何かポジティヴな気分になったとしたら、朝日新聞の夕刊で、この↓記事を読んだ瞬間だ。ただ、最後の〈権力を分散させる〉という表現にはひっかかる。オレはそもそも〈権力〉という単語自体で背中の上半分に寒気がするようになっちゃったので、それが集中しようと分散しようと、雨で散って黒いアスファルトに貼りついて情けなく汚れていようと、そこにそいつがあるだけで、呼吸が苦しいのだ。・・・その部分以外の線を引いた箇所は、だいたい、我が意を得たり、な発言なのだが。


“花”が散って、花びらを全部清掃局が焼き場に持っていったら、〈まんてん〉でコロッケ・シューマイ・カレーを食おう。コロッケ・ウィンナーでもいいなー。