6.30.2010

tokyoなんとか07月号

■気が狂いそうだ。オレの正常な感覚からすると、選挙カーは堪え難いやかましさだ。オレはもう、3回、中指立てた。それでも、ごせ~えん、ありがと~ございます!って叫ぶのな。ああ、悲しき営業(ウー)マンたちよ。お騒がせしております!!!と絶叫するやつの良識を、どうやって信じろというのよ。職業に貴賎なしというが、絶対ウソだね。社会の安寧を確実に乱している職業、2つはあるもの。

長野(日本の夏フェスといえばもはや、《なんとかフェス in 長野》)と大阪の話題も載ってます。


6.27.2010

もし、私たちが推進者の正体を暴くことができるなら

■【この会議は、各国政府の「シェルパ」(実務官僚のこと。一、二日の会議のために、一年中、準備をしてすごす高級公務員や外交官たち)によって前もってほぼすべてが準備される、どうでもいいコミュニケの発表会のようなものである。その大部分は華やかに飾り立てられて表現されているが、真面目に打ち出された提案の部分は、新自由主義ドクトリンの陳腐な焼き直しであり、貧困地域に関わる多くの問題(負債やエイズなど)に配慮するそぶりは見せたりするが、その約束を実際には実行したためしがない。
彼ら権力的リーダーたちは、世界中の諸問題にあまねく対処しようという自負を持っているようだが、誰も、彼らをそのために選んだわけではない。

(中略)

G8の発するメッセージとは、“誇示”“権勢”“服従”といったものなのである。それに対して、抗議運動のメッセージとは、G8は不当なものであるということ、そして、いかなる役にも立たないということである。そして、私たちが求めるのは、G8などという閉鎖的なものではなく「Gワールド」であり、私たちはその一部でありたいのだ、ということである。】

第一部 もうひとつの世界は可能だ! もし・・・・・・
>第3章 もし、私たちが推進者の正体を暴くことができるなら 
093頁より

まだみなさんの記憶に新しいところだと思うが、『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者であるこの政治経済学者が2年前の洞爺湖サミット抗議運動で来日した際、成田の入国管理局は、“必要事項を確認する”というだけの理由で4時間以上、彼女に足留めを食らわせている。



6.15.2010

ワールド・カップは楽しく、苦い(、が、楽しい)


■ワールド・カップについては、語られるべきことがたくさんある。当然このこともだ。

繰り広げられる試合自体は楽しいのだから、それを観て純粋に楽しめることも生きていく上での才能だ。昨夜のカメルーンvs日本もよかったし、先日のガーナvsセルビアはもっと楽しかった。しかし、こうして試合と舞台をセット・アップして世界中を一ヶ月間興奮させる巨大イヴェントが、どんな人間たちによって仕組まれていて、その裏側にどんな事実があるのかも併せて感じ取らなくては、ワールド・カップを真に“味わって”いることにはならない。

オリンピックのときにも書いたが、演出された世界の“UNITE”や“感動”をビジネスにするものは、よくよく注意しなければならない。ましてや、サッカーという楽しい競技がその売り物である場合には、なおさら冷静になって注意したいと思う。自分は純粋にサッカー競技“だけ”を愛するサッカー・ファンだから、試合以外のことには興味がない、という人がいたら、それはこの場合、言葉は悪いが、“かなり共犯に近いカモ”である。

オレは、だからといってWCを(つまり大会の表向きの意義と、実際の競技、選手、サポーターを)頭ごなしに無視するなり、“flush”してなきものにする気には全然ならない。大好きではないまでも、サッカー観戦の面白さをまあまあ会得したせいで、オレもこの目で試合を観たいのだ。それと同時に、この大会が楽しいものと許せないものとが一体化して成立しているものだという点を直視し、そこから学ぶ機会であることも忘れないようにしている。
仮に自分ひとりがWCを無視しようと、日程は予定通り進行していくし、もうとっくの昔にすべての契約書にはサインされている。世界中が観戦をボイコットするならば大会は当然成り立たないが、これがサッカーである以上、それは不可能だ。世界中のかなりの数の人間にとって、サッカーは大切なスポーツなのだから。ならば、なおのこと、世界を動かしている資本主義のシステムの実体と問題を世界中で同時に考える好機でもあるはずだ。世界大会の楽しさはそのまま保ちながら、政治的、経済的に“コレクト”な運営のオーガナイゼイションに変えていくにはどうしたらいいのか? ということを、である。

無論、その“世界大会”の楽しさが、ユニフォームに国旗をつけ、両国の国歌斉唱から始まる“国vs国”の試合ゆえのものであるという事実を直視するのも、オレとしては少なからず苦々しい気分を伴う。日本だのアルゼンチンだのという国には興味なく、日本チームや、今の弱っちいフランス・チームが結構好きなのだ、なんていう“弁明”にどこまで正当性があるのだろう? という湿った自問である。毎回外国に行くときに、菊紋の付いたJAPANのパスポートを使わずに密航する勇気がない自分を情けなく思うのと一緒だ。が、その反面、その日本国のパスポートでスイスイいろいろな国に行けて、いろいろな“ゲットー”を訪ねられたことがアナキズムの重要性に気づく大きなきっかけになったこともまた事実だから、考え方の両極のどちらか一方に安易に、盲目的にしがみついている場合ではないのである。ワールド・カップの美点と偽善についても、そのどちらもきちんと見える位置にいたいと、オレは、思う。

先日のフジテレビ『とくダネ!』では、ジョハネスバーグのゲットー:ソウェトの様子も一瞬レポートされていた。そこの腐食したトタン板ハウスに暮らし、テレヴィ受像機も持たず、すぐ近くで行われていた自国チームの開幕試合すら目にする術がなかった女性の、「試合は観られないけれど、このWC効果で国の経済が活性化してくれることを願っている」という切実な声を報じていた。それが、大会のダーク・サイドをほんの一瞬であれ伝えて過熱報道とのバランスを取ろうとしたフジテレビの意図だとしたら決して無意味ではないだろう。が、しかし、本文冒頭のリンク先↑の告発文を読んでみれば、そうして日本の大メディアの高視聴率番組が報じたのは、南アフリカの報道が南ア市民に対してWC開催にまつわる問題の真実を伝えていないという事実なのだ。なんとも皮肉な茶番ではないか。
まだ未聴の方がいたら、このペイジ右上の〈ジョハネスバーグ便の看板〉をクリックしてギル・スコット=ヘロンの歌を聴いてみて欲しい。まさに、「ジョハネスバーグで何が起こってるか知ってるかい? ニューズ報道なんてあてにならないんだぜ」という歌だ。

いずれにしても、昨日の松井はかっこよかったね。もちろん本田も、そして大久保もキレてるし、逆に、相変わらず一見トロそうにしてても常に味のある場所にいる遠藤こそ、やっぱりオレにとってはゲームを観るときの目の支点だった。
とはいえ、次の土曜日のオランダ戦の時間には友川カズキを聴きに行こうと思ってるんで、結局はその程度の日本チーム好きなんだけど。

6.09.2010

マニュ・チャオ通信(#17)SMOD


■マヌ・チャオ・ファミリーの最若手、マリのラップ・グループSMOD(スモッド)の3枚目で、インターナショナル・デビュー・アルバムが5月31日、フランス発でリリースされた。
(このマニュ・チャオのHPで、アルバムのリード曲「Ça chante」の"Radio Edit"が聴けます)

去年の秋のマニュ・チャオのツアーの前座として一緒に回っていたのはこの布石だったわけで、それによって欧州、特にフランスではそれなりに認知され、かつマニュ・チャオの全面プロデュース作という話題性の威力は絶大だから、きちんとマスに待たれていたアルバムだった。

マニュ・チャオのファンなら、彼のプロデュース作品として2004年にリリースされたアマドゥ・エ・マリアムの大傑作『Dimanche à Bamako(バマコの日曜日)』をこれまで繰り返し聴き込んできたことと思う。このSMODのメンバーは、Sam(サム) Ousco(ウスコ) Donski(ドンスカイ)の3人だが、そのサムこそが、アマドゥ&マリアムの息子だ。


2003年に『ディマンシュ・ア・バマコ』のレコーディングのためにマリを訪れていた宵っぱりのマニュ・チャオは、早い時刻に寝てしまうアマドゥ&マリアムとは夕食後は仕事ができず、その空いてしまった夜の時間を使って2人の息子サムのグループのレコーディングにサジェスチョンをしてやっているうちに、彼らに対して、「そうだ、サムのママとパパが寝てる間に2人の今度のアルバムのために曲を書いて、明日の朝2人を驚かしてやれよ、手伝ってやるからさ」という提案をする。それで3人は「Politic Amagni(ポリティック・アマニ=Politic is no good)」という曲をチャオと共同で書き上げ、それがアマドゥ&マリアムに気に入られてバッチリ『ディマンシュ・ア・バマコ』に収録されたばかりか、その曲のレコーディングにはコート・ディヴォワールのレゲエ・スター(だが、自国政府を批判するあまり、身の危険があって国に帰れず、隣国マリにスタジオを造って暮らしている)ティケン・ジャー・ファコリーまで参加して、結果そのアルバムの素晴らしいハイライトのひとつになった。もちろん、作者のSMODの3人もコーラスで参加している。

マニュ・チャオとはそれ以来コネをもったSMODだが、このフランス初紹介作は、そのアマドゥ&マリアムのアルバムに使われていた“トラック(コード進行)”も出てきて、つまりいつもの“ジャマイカン・スタイル”のマニュ・チャオのリサイクル手法もチョロッとは出てくるものの、それ以上にSMODの特徴であるアクースティック・サウンドのオケとラップのコントラスト、そこに加わるマリの伝統的なマンディング音楽的な歌唱と音色がうまい具合にミックスされた彼らのオリジナルなカラーが前面に出た、ポップでカラフルでかつピリッとした刺激のある、ひとくち30回の噛み応えのある仕上がりになっている。当時既にスターだったアマドゥ&マリアムに対してマニュ・チャオが自分の色を思いっきり出し、(かつ自分でもコーラスどころかリード・ヴォーカルまで取って)ほぼ合作風に作り上げた『ディマンシュ・ア・バマコ』とは異なり、若い奴らを必要以上に自分の色に染めないように留意してプロデュースしたマニュ・チャオの分別ある優しい叔父さん風の仕事具合がいい。抑制が利いているけど、ああ、これはマニュ・チャオの音だよな、技だよな、っていうディティールが随所で光っている。

マニュ・チャオとサム(CDブックレットより)

オレがパリでおととし観たマニュ・チャオのショウの前座だった(で、それ観てブッ飛んだ)マルセイユのアナキストの女の子ラッパー(アルゼンチン系フランス人)ケニー・アルカナが1曲客演してて、その「マイクなんか怖くねえ」がガツンとハード・コアで、またいいアクセントになっている(これ以上書くと、雑誌のレヴューで書くことがなくなって原稿料が入らなくなるからこのへんで止めとくが・・・もう、遅いかもしれん)。

ところが、である。発売日の5月31日になってもタワーレコード・オンラインでも、HMV ONLINEでも、Amazon.co.jpでも、このアルバムがオーダーできなかったのだ。普通は現地発売日の少し前から〈予約可〉になってるはずだが、3社とも、ウェブ・サイトに〈SMOD〉のペイジ自体が存在しない。「そんな人、いません」扱いなのだ(今現在もその状況は変わらない)。マニュ・チャオ全面プロデュースなのに、だぜ。勘弁してくれよ! ということで、しょうがないのでフランスのAmazonに注文したら、1週間でサクッと届いた。ギリシャ危機によるユーロ安もあるんだけど、送料、飛行機代込みで〈JPY 3,057〉。メンバー無駄に5人もいて、オンリー・ワンなマグロ・ユニゾンの〈SM**〉のCDより安いんじゃね? 
日本のレコード屋がこんな調子だと、菅ちゃんには悪いけど、オレ、内需拡大に協力できねえな。

6.03.2010

マニュ・チャオ通信(#16)Manu Chao Live @ Radio Nova


■2002年のスタジオ・ライヴの一部を、先月再放送したものが聴けます(リンクは下↓)。「Clandestino」と「"Tijuana"」の2曲で5分少々。アコーディオン入りの完全アンプラグド。いつもの調子。どうってことはないけど、好きな人なら、聴き始めにじんわり熱くなって、5分後にほっこりしてます。
いつまで聴けるか分かんないので、お早めに。


存在の耐えられない軽さ

■誰がなっても変わらないんなら、残された希望はたった一つ、誰も選ばないことだ。そうじゃない?

2日付け『ル・モンド』紙。



〈チョムスキー『お節介なアメリカ』(ちくま新書 #676)オビ〉


そんな軽い仕事の話より、イスラエル軍によるガザへの支援物資輸送船団に対する襲撃事件の方が何十倍も世界にとって重い問題だ。絶対にそうだ。

2日付け『朝日新聞』


みんな、そんなイスラエルに、毎日知らずして何かしらの援助をしている。きっと、あなたもそうだ。

無印良品、イスラエルへの進出を発表だって? 日系小売企業では初のイスラエル出店らしい。金稼ぎの前に、まず、日本で売れ残った洋服や日用品をガザの人たちに送ってみろよ(国境のイスラエル税関で全部取り上げられて捨てられるかもしれないけど)。