7.01.2011

福島市でのこと


■26日に参加した福島市〈福島1万人ハンカチパレード〉についてツイートしたら、多くの方から@Suzuki_Koya 宛てにご質問やご意見をいただいたのですが、確かに140字で詳細を説明するのは難しい話ですね(あれだけで138文字です)。そのみなさんへのお返事も、各140字ではとても無理なので全部まとめて、福島で目にしたことや耳にしたことも加え、なるべくここに詳しく記したいと思いました。

そもそものことの背景ですが、今回の福島市のデモへは東京から〈バス・ツアー〉が企画されました。運転手付き49人乗りの大型バスをチャーターして東京と福島を往復した、そのデモに参加するためだけの、約50人のツアーです。

オーガナイズしたのは、2007年から、核問題に特化して運動を始めた非営利団体《NO NUKES MORE HEARTS》で、いわば反核アクティヴィストの専門家集団。同団体の人たちは、往復のバスの中でもマイクを使い参加者をガイドしてくれました。手元にガイガー・カウンターももちろん携帯しており、往路のあるあたりで「そろそろ車内の線量が高くなってきましたから、みなさん各自マスクで防護してください」というアナウンスがあり、「おー、いよいよか」と思いました。車内には複数の参加者が持参したガイガー・カウンターが何台もあり、所有者のうちひとりが「お、結構高いね」と言った声も耳にしました。ぼく個人はガイガー・カウンターを所有してはいませんし、実際の数値も見ていませんが、そういう状況は予測していたので特に驚くことはありませんでした。YouTube(だっけな)で、北に向かう東北新幹線の車内で線量計の数値が上がっていくところを撮影した人の動画を観ていたからです。

それから、本当に福島市の人たちがマスクをしていないのか? ですが、デモの参加者はさすがにマスク着用率が高かったのですが、歩道を歩いている通行人は、ぼくの見た限り、そのほとんどの人がマスクをしていませんでした。パレードは最初から結構な雨降りでしたが、のちに雨は徐々に弱まり、JR福島駅前には多少の人が出てきていて、デモの後半に駅前を通過するときには、デモで通行を止められてしまった、まとまった数の歩行者のみなさんを車道から眺める機会が数度あったのですが、おおよそマスクの着用率は1割くらい、というのが実感でした。部活帰りの男子中学生(だと思う)が、4人組くらいで、上下ジャージ姿、大きなスポーツ・バッグを背中に斜めに背負い、当然マスクなどせず、小雨に濡れるまま、こっちを眺めながら自転車で、急ぐでもなく、たらーり、たらーりと走っていきました。まるで、この県に〈なにごともなかった〉かのようでした。

デモ終了後、バスの出発時刻までの数十分間、現地の方数名と話ができました。そこで最も印象に残ったのはこんな話でした。
ぼくの質問:「福島市は線量が高いのに、マスクをしてない人は多いし、若い人たちは何故、平気で雨の中、頭を濡らして自転車に乗ってたりするんでしょう?」に対して、ある方はこのように答えてくれました。

「みんな、もういい加減、嫌になって、疲れちゃったんです。お金持ちは、子供を福島から離れさせるために早くに逃げました。子供たちは学校から帰ってきて、**くんが転校した、##ちゃんが転校する、という話をするのですが、逃げたくても多くの家庭は主に経済的理由から、ここを離れられません。すると、あんたの安月給のせいでうちは・・・という夫婦喧嘩が始まり、それを見ている子供も、小さくして階級社会の非情のようなものを感じることになります。そうするうち、本当は家族で力を合わせて助け合っていかなくちゃならないときなのに、逆に家庭の中がぎくしゃくしてくるのです。そこから抜け出すための経済力もなく、生活環境にもない人たちはどうするかといえば・・・親も、子供も、みんな、〈なにごともなかった〉ものとして振舞うようになるんです」

また、話を聞くことができた複数の人が、山下俊一に対する激しい怒りを隠していませんでした。国際放射線防護委員会(ICRP)が、公衆の被ばく限度を年間1ミリシーベルト(=1000マイクロシーベルト)と定めているのに対し、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーである長崎大学教授の山下が、「100ミリシーベルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と断言し、県の“緩い対応方針”の根拠になってしまったことを強く非難していました。

帰りのバスの車中では、〈ツアー参加者〉がマイクを使って福島市で感じたことを順番に話していましたが(実はぼくは疲れてしまってその大半を眠っていたのだけれど、起きていたときにたまたま耳にした)ある人は、こんなことを話していた。デモの前に福島駅前を散策していたら、信号待ちの人たちが誰もマスクをしていないので、東京組(全員マスク着用)は案の定、現地の彼らに何故マスクをしないのか訊いたのだそう。その答えは、「だって、もう暑いんだもの。もう、あんまりみんな気にしてないんです」だったという。

さて、〈昨日福島市で雨に当たった衣類の被爆線量1.44μSv。衣類もバッグも念入りに除染。〉と書いた箇所についても、疑問の声、質問など、いろいろとリアクションをもらいました。

東京に帰ってきたのは深夜でしたが、その夜中、友人イルコモンズさんから〈ドラム・サークル〉のメイリング・リスト経由で連絡をもらった。ぼくたちは数十名からなるドラム・サークルを作っていて、そのサークルとして福島のデモに誘われ、メンバーの中の約10名が一緒にバスに乗って行ったのですが、その中でイルコモンズさんだけが線量計を持っていた。それで彼が、雨に濡れた我々ドラム隊のメンバーのために、サークルのメイリング・リストでこのような報告をしてくれた。

「線量計を使って、今日一日、身につけていた衣服の被曝線量を計測してみたところ、1.44マイクロシーベルトでした。今日の雨の影響を心配している方もいらっしゃると思うので、とりいそぎ、ご報告まで。」

彼は福島県などが同じ26日に線量を測定したのと同じ小学校で、持参した線量計で独自に線量を測定していて、そのことが彼のブログにも記されています(厳密には通学路と校庭の違いはあるが、数値はおおむね合致している)。つまり彼の線量計は正常に機能していたことが分かります(失礼)。
また、福島市の〈防災情報サービス〉のサイトを見ても、市の測定する大気中の放射線量は、例えば〈市役所東棟〉での数値ならばこのところしばらくは毎時1.4μSv台を推移しているし、デモ翌日の27日月曜日の数値はまさに〈1.44μSv〉なので、大気中の放射線物質が、雨によってほぼそのままの濃度で衣類に付着したと考えていいのだろうかと、(素人考えながら、ぼくは)思う。

同じドラム・サークルの仲間、T見さんが「1.44マイクロシーベルト/時ということは、年間約12.6ミリシーベルト」と換算してくれました。ただ、ぼくには残念ながらその数値を云々する知識はありません。

〈衣類もバッグも念入りに除染〉などと自信あり気に書いたので(いや、つまり140字の壁なんですが・・・)、みなさんから「洗濯するとどこまで数値が落ちるのか教えて」とか「どういう除染が効果的ですか?」というお問い合わせがあったのですが、実際は、とにかく長めの時間をかけて丁寧に洗っただけです。バッグ(ナイロン)も洗濯機で洗って、さらにシャワーでよく流す。はいていたブーツの底も、流水シャワーで念入りに流す。
・・・しかしこうした排水によって、下水道処理に従事する人のマターへ、つまり左から右にバトンを渡しているだけなのだろう、と思うと、洗濯しつつも複雑な気持ちですが、よく考えると元凶の原発はこの忌わしいバトンを、数十年間という長きに渡って、ただ後ろに延々と渡し続けるだけなのですね。絶対に自分は受け取らないのです。この理不尽さを思い、洗濯しながら頭がクラクラしてきます。
いずれにせよ、衣類に関して言えば〈水洗いでかなり落ちる〉という定説は誰も否定していないようですから、相当な除染効果があることは想像がつくのですが、前出イルコモンズさんに、念のため洗濯後の同じ衣類の放射線量を測って教えてもらいました。

「コインランドリーの大きめの洗濯機で、脱水までふくめて40分のコースで洗濯し、5回計測して平均値を出した結果、0.09マイクロシーベルトになりました。乾燥しても線量は同じらしいので、これが一回目の洗濯の結果です。」

たぶん2度、3度やればもうすこし線量がさがるかもしれません、とのことですが、1回ちゃんと洗っただけで、単純計算で1/16に減るようです。

以上、みなさんからのご意見、お問い合わせについて、可能な限りフォロウしたつもりです。専門家ではないので、これが精いっぱいのところですが、ご参考になるところは、そうしていただけるとうれしいです。

と、ここまで書いたあとに、福島市の状況を他の人(マスコミではなくむしろ一般ブロガー)はどう書いているのかが気になって少し調べてみたら、ほどなく、《ウインドファーム中村隆市さんのブログ》に、以下のような記述を見つけました。

福島の実態として・・・
「マスクや帽子をかぶって登校している子どもがイジメの対象になり始めているよう(だ)」

「福島市民の多くが、政府公表値は安全だという判断から、マスクを着用していないように思われます。撮影当日の児童公園では、20μsv/hの地表を、子供たちが無邪気に走り回っていました。これで本当にいいのでしょうか?」

さらには、ぼくが日曜に聞いた話と似たような話で・・・

「避難したくても、家族の意見が一致せず」

「家庭の中に亀裂が入る、家族の心がバラバラになっていく」

というようなことも書いてあって、「やっぱりそうなのか」と思ったのでしたが・・・よく見たら、このブログの日付けは〈2011/04/26〉なのでした。
ぼくはそこから2ヶ月もあとの福島市に行って、みんなマスクしてないな、とか、女子高生は雨の中自転車乗ってるし、みんな〈なにごとも起きなかった〉みたいに暮らしてるなあ、なんていう驚きを(今頃?)ツイートしたわけです。

TVのニュースには、原発事故の被害を受けた第1次産業従事者や、意に反して避難を余儀なくされる人々といった(言葉は悪いですが)分かりやすいニューズ・ソースになる人たちだけが映ります。
その一方、国や県の(多分に未必の故意による)方針によって、今この瞬間も何かしらの見えないリスクに晒されている可能性の高い、そして彼ら自身〈なにごともなかった〉ように暮らそうとしている人たちのことは、なかなか絵に、問題になりにくい。

原発事故は国民の中に、そうした目に見えないさまざまな差別、格差、分断を生じさせている気がします。もし福島がギリシャやスペインやフランスやドイツにあったら、今、県知事は朝飯も咽に通らないでしょう・・・が、実際の福島市の人たちは静かでした。穏やかでした。