8.28.2009

総選挙

■正直なところ、「もうたくさんだ!」。オレの理想とする社会に選挙などそもそも必要ないのだ・・・・・・・・・・が、過渡期的に、選挙に行くしかねえか、と思わされる時代が今も、続いている。

なのでオレは、今回も、“まだ”、選挙に行って、社民党と共産党を“支持”しようと思う。


(語源的意味において正しいにせよ)無政府主義者という訳語は好きではない。今の時代の空気中にその言葉が発音されたときの響きは、その思想を、強引に狭い枠の中に閉じこめ、そこに属すると見なされる個々人の考え方の違いなどお構いなしにレッテルを貼ってひとからげにして隅に追いやり、権力によって制御や監視が可能な“可視化”された1つの異端マイノリティー思想/集団であるかのように世の中に認識させてしまう嫌な力を持ってしまっている、と感じる。


他人に“レッテル”を貼るのが大好きな社会において、分かりやすい“レッテル”を1枚自分に貼られるとしたら、オレは“無政府主義者”ってやつじゃなくて、“非暴力的直接民主主義者”というのがいい。


投票用紙という名の紙切れ1枚だけお上に与えられ、それが成熟した民主主義社会のあるべき姿(=間接民主制)だと喧伝する質の悪いクロロホルムを嗅がされ、それ以上は声を上げることも許されない。デモでもしようものなら、茄子漬けの汁みたいな色の服を着た陰気で暴力的な集団に四方をぐるり取り囲まれるような社会がハッピーな社会であるはずがない。こんな選挙に行ったからって、その根本的に不吉な状況が、来月から何か変わるわけではないのだ。


が、しかし、社会的弱者に対して暴力的な政党群と、それよりは(ある論点においては、かなり/相当に)優しいことを考えている政党があったら、オレは、今のところ、そっちのマシな方を“支持”して、あまりに傾き過ぎたシーソーのあっち側の、鈍重な腐敗物の塊を少しでも持ち上げることに、哀れな(軽過ぎて1票が1票にすらならない)公民権を行使したい。ゴミ箱に捨てに行くにも、まずは持ち上げないと話が始まらない。


つまり、政党政治の全体を否定する行動の内に、オレはまだ今もって段階的措置を取ろうとしているわけだが、その考えが多少なりとも有効なのか、あるいはあまりにお人好し過ぎるのか、その点を再度考えるために選挙に行く。つまりオレの総選挙に対する興味は、ただ、その1点なのだ。まさか自民党の大敗、民主党の大勝などではない。メクソとハナクソのどっちが辛うじて清潔かには興味がない。


それと、総選挙と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査においても一考すべきことがあり、オレには今回2人、ペケを付ける人物がいる。


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