9.03.2009

夏の終わり

■夏の終わりといえば・・・キャロルの「夏の終り」である。ぎらぎらした太陽に焚きつけられ、永遠に続くかのように思われた祝祭的な高揚感は、次第に色濃くなっていく秋の気配の中で少しずつその荒々しさを失っていく。人気のなくなった波打ち際で、遂には力なく夢から覚めてみると、足もとに喪失感がポロンと1個転がっているのに気づく。“ひと夏の恋”とは無縁の生活を送ろうと、ひと夏の終わりは、ひとつの恋の終わりである。好むと好まざるとに関わらず、ロマンティックで感傷的な、他のどの時期にも存在しない種類の空気が2~3週間をそこはかとなく支配する。で、それが今の季節感のはずだ。


が、今年はそれがないのが、やはりどこかもの足りない。夏らしい夏もなかったし、涼しいのはいいんだけど、ぬるい“夏もどき”からこのだらだらと寒くなっていくメリハリに乏しい感じがスッキリしない。長野騒乱《なんとかフェス》で、新型のサマー・オブ・ラヴを堪能したことが唯一にして決定的な救いだったな。


9月に入ると、なんと、あと2ヶ月ちょっとで《今年のベスト・アルバム》を選考しなくてはならない時期になるという事実が頭をよぎる。毎年『ミュージック・マガジン』でレゲエの年間ベスト盤ランキングと、ジャンルに関係なく個人的に評価する作品ベスト10を選んでいるが、その特集が掲載されるのが12月末発売の翌年1月号だから、選出の最終期限は11月の末になるわけだ。で、実は、音楽作品のリリース状況は、この夏の終わりからが“熱い”。その年のベスト作品候補が、例年9月~11月の間に大量にリリースされるのだ。


それは何故か? 巨大音楽市場を持つ欧米諸国の新年度が9月開始だからである。特にアメリカは会計年度も9月に始まることが大きい。夏休みを終えた企業が本腰を入れて稼ぎ出す季節だ。また、《ベスト・アルバム 2009》的なメディアの企画に対して作品のインパクトを持つにも、作品は秋にリリースする方が有利である。さらにはクリスマスの習慣を大事にする人たちにとっては、レコードやCDはこれまで長らく贈るプレゼントの候補として実に手軽で有効なものだったから、各レコード会社はそのクリスマス商戦に向けて“売り物”を揃えてぶつけてくる。だからグラミー賞とかいう(どう見ても健康的には思えない“政治的”)催しも、年が明けて落ち着いた2月頭なんだろう。

ってことで、今年もここからジャンルに関係なく、新作の音楽をガンガンに聴く“楽しみ”があって、それはそれでオレにとっての職業的な季節感を形成してはいる。


とはいえ、この病んだ気候がますます助長する、日本のこの9月のフレッシュ感のなさには、やっぱり少々気が滅入る。制度的にいって、何週間かのヴァカンスでゆっくり心身を休めたサラリーマンの、精気を取り戻した表情が街中に見受けられるわけでもないし、新学期を迎えた子供は元気いっぱいなはずなのに、インフルエンザ予防のマスクをつけて登校している姿が痛々しい。のりピーも民主党も、テレヴィのやかましさが辟易を通り越して寒々しいだけだ。あったかいお茶でも飲みながら、静かにこつこつ仕事する9月にしよう。遅れてる仕事があるわけだし。


と思っていたら、つい先日届いたフランス国鉄の(正確にはその関連旅行代理店の)ニュース・レターには笑わされつつも、ちょっと刺激された。


フランスって国では、労働法によって給与所得労働者は全員5週間の年次有給休暇を取ることが定められている。義務として休ま(せ)なくてはならない。なのでサラリーマンは、夏には普通最低でも3週間はまとめて休んで9月の頭に新年度を迎え、会社へと戻って来るわけだが、この女性はオフィスに戻った途端に仕事にウンザリし始めている。


で、早くも《新年度にノン!》という気分になっている。


で、ニュース・レター・メイルの写真は自動的に2枚が交互に表示されるようになっているが、2枚目はこれ。


《・・・終わらない夏に、ウイ!》


そして、〈外の空気に当たりたくはありませんか? あなたの夏を引き延ばして、9月の週末に旅に出ましょう〉っていうお誘いなのだ。


少なくとも3週間は休んだ国民に国鉄が言う言葉かよ、とも思うが、こういう宣伝コピーで効果があるとマーケティングされている国民が、つまりそういう国民性なんである。


日本にはそんな法律もなければ、そんな国民性もないが、こういうのを見ると、「オレもまだもう少しなんか楽しいこと、しよう」という気になる。その気分が大切だ。

たとえ、自由になるカネがなく、引き延ばす夏自体がなかったにせよ、だ。