6.04.2009

映画(試写)





■映画評を書く仕事を、最近あまりやらなくなった。『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』には都合1年半近くかかってしまったのだが、時間に追われて本を作っている期間は、誘っていただいた試写に行って、そのレヴュー原稿を書き終えるまでの間に本の作業が途切れてしまうことがあまり望ましくない。それに純粋に趣味で観たいフィルムは自費で観るべきで、それなら別に急ぐ必要もないし、その多くは三軒茶屋シネマか三軒茶屋中央劇場に落ちて2本立てになるから、そのときにまるっきりノー・マークの映画と抱き合わせで1000円ちょいで観るのが、ぼくにとって正しい。“二番館、三番館に落ちて2本立て上映”という様式に21世紀の今も・・・というか、そんなのが稀になった今だからなおのこと、愛着を感じる。だいたい、“落ちる”という動詞をここまで愛おしく感じることは、昨今、他の文脈においてはほとんどない。


もう1つ、試写会に行かなくなってしまった深刻な理由がある。ぼくは『ミュージック・マガジン』で毎月レゲエのアルバム・レヴューを担当している(立派な大人は、“させていただいている”って言うんだっけか)。そのレゲエのレヴュー対象音源は毎月、編集部からドスンと送られてくる。ぼくはアイテムを一切選ばず、送られてきた箱を開けて片っ端から、先入観を持たず機械的に聴いていくのだ。で、今もたまに映画評を書いているのも『ミュージック・マガジン』にだが、その場合は、編集部から依頼されることもあれど、基本的には自分の選択に基づいて試写を観て、これは紹介したい作品だと思ったときに編集部と相談する形を取る。つまり、試写を観たのに自分からレヴューする気にならなかった場合はそのまま観たっきり、である。というか、そういうケースの方が数としては多く、結果的にタダで観させてもらうことになり、若干気が引けることになる。“本職”の映画評論家なら、それがどんなフィルムだろうとあらかじめどこかに“書く枠”が用意されてるんだろうし、嫌いな作品については論じない、というスタンスでは食べていけないだろうから、当然どんな作品でも“プロ”なりの書き方、論じ方があるんだろうが、ぼくの場合はあくまで映画は副次的な対象だし、わざわざ否定的な感想・意見を書くために誌面枠をもらうというのも気が乗らない。そこまでして仕事を得るというのも、そもそも感じのいいことではない。


さらには、試写を観終わった直後に、会場で配給会社の人から感想を求められるのも、全然好きになれなかった作品の場合には相当苦痛なものだ。そういう映画を最後まで見通すこと自体に疲れているのに、先方のその大切な商品に、なんとかぼくが好意的にコメントできる要素を探したり何かをこじつけたりしながら、その立ち話の場を取り繕うのもさらに疲れる。
京橋駅近くの映画美学校(建物も学校内も雰囲気がいい)の試写室に行くのは大好きだが、一度、そこで巨大資本が投じられた大味・大仕掛けのハリウッド映画の試写を観て暗澹たる気持ちになり、配給会社の人と目が合わないようにこっそり学校を抜け出して駅に向かったら、後ろから大声で名前を呼ばれ、地下鉄の階段の途中まで追っかけてこられたことがあって、そのときは凄くしんどかった。
あるいは、試写会場からうまく逃げ出し、気を取り直して食べたい食材を買って家に帰り、好きなレコードをかけウィスキーを飲みながら夕食の支度をして気分も直ったと思った瞬間に電話がかかってきたこともあった。「本日は、お忙しい中、お越しいただきましてありがとうございました! それでー、いかがでした?」・・・。外まで追っかけてきたり、家に電話までしてくるのは、ほぼ例外なく、バジェットのどデカい娯楽作品を鳴り物入りで宣伝している大きな配給会社の人だ。そういう“真剣”なお仕事に、興味本位で顔を出したこちらが悪かったんです、すみません。
「つまんなかった」とだけ言って話が終わるなら簡単だが、実のところ、「面白かった」「素晴らしかった」の理由を述べるより、「つまらなかった」の理由を述べる方が、会話の上では遥かに難しいのである。


というようなことが何度も重なったせいで、今もいろいろな会社の方々が試写の案内を送って下さるのに、観たあとの様々なストレスが苦痛で、ほとんど試写会に行かなくなってしまった。


しかーし、このブログを始めてひらめいたのだが、本当に観たい映画だけ観させてもらって、たとえ雑誌で書かなくても、ここで紹介すれば何かしらのお手伝いにはなるだろうし、こちらの気分としても、タダ観の後ろめたさを感じなくて済む。初めてこのブログの具体的なメリットに気がついたので、ちょっと気分がいい。


実は最近届いた数々の試写のお誘いの中で、どうしても観たいものが2本あったのだ。どちらもぼくにとっては“間違いない”作品で、その2本とも、ザジフィルムズさんの配給作品だ。『地下鉄のザジ』(これを配給するのに、ザジフィルムズさん以上の会社は他になかろう!)は公開50年後の完全修復ニュープリント版だというから、今まで10回くらいは観たけど、11回目以降はニュープリント版で観られるわけだ。『地下鉄のザジ』は熱狂的ファンの多いいわゆるカルト・ムーヴィーで、だからファンは原作者のレモン・クノー(レーモン・クノー)のこともご存知でしょうが、『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』には、クノーのかの有名な著作『文体練習』を舞台化したもののサウンドトラック盤にヴィアンが書いた解説原稿も入っていますのでお楽しみに。・・・それからパティー・スミスのドキュメンタリー作品『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』も、彼女の知られざる素顔を垣間見られるという前評判を聞いていたので楽しみにしていたのです。ザジフィルムズさん、タイプです。どうぞよろしくお願いします。