■谷啓逝去のニュースは、シュガー・マイノット(とにかく若過ぎた)の死ほどではないにせよ、結構ショックだった。
が、昨夜、またまたショックなことに、クロード・シャブロルの死を知った。まさに昨日、9月12日の早朝、パリで他界したそうだ。
享年80歳。
享年80歳。
いわゆる《ラ・ヌーヴェル・ヴァーグ》の映像作家たちの映画は、その周辺のアニエス・ヴァルダ、ルイ・マルや、ジャン・ユスターシュあたりまでも含めてたくさん観たし、好きな作品は数々あるが、でも、その中で一番好きな監督は誰かと今、考えると、ぼくの場合はジャック・リヴェットとこのクロード・シャブロルじゃないかと思う。
まあまあのヒチコキアンのぼくにとっては、本格的に映画を撮り始める以前、つまり『カイエ・デュ・シネマ』誌の映画批評家時代のシャブロルが、同志エリック・ロメールとの共著で世界で初めての本格的なヒッチコック論を出版したことからして既に尊敬に値する。世のアカデミックな映画批評家は誰一人として、“娯楽映画の監督”ヒッチコックに論じる価値を見い出さなかった時代に、である。
ヒッチコックのガイド・ブックとしては、フランソワ・トゥリュフォーがヒッチコック本人に全作品の解説を求めてそれを構成した『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』(1966年初版/78年増補版)がまさに定本の名著だが、シャブロル&ロメール著の『Hitchcock』は1957年に出された本ゆえに『知りすぎていた男』や『間違えられた男』までのヒッチコック論であり、つまり同書では『めまい』にも『北北西~』にも『サイコ』にも『鳥』にも触れられていないにも関わらず(実はそんなこととは無関係に)今も(特にフランスでは)映画を学ぶ人間必読のバイブルとなっている。この本に書かれている、ヒッチコックの構図やカット割りや心理描写に関するシャブロルとロメールの執拗な分析を味わうに、特に(彼もサスペンス映画を多数撮った)シャブロルの鋭角的なのに切り口の奥が深い表現描写がヒッチコック直系の美意識に貫かれていることを、そしてその古典様式を継承しながら自分のスタイルを作り上げていった職人のしなやかなプライドを、改めて確認することになる。奇しくも、そのヒッチコックの“一番弟子”も、師匠と同じ満80歳で今生をクランク・アップしたわけだ。
ヒッチコックのガイド・ブックとしては、フランソワ・トゥリュフォーがヒッチコック本人に全作品の解説を求めてそれを構成した『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』(1966年初版/78年増補版)がまさに定本の名著だが、シャブロル&ロメール著の『Hitchcock』は1957年に出された本ゆえに『知りすぎていた男』や『間違えられた男』までのヒッチコック論であり、つまり同書では『めまい』にも『北北西~』にも『サイコ』にも『鳥』にも触れられていないにも関わらず(実はそんなこととは無関係に)今も(特にフランスでは)映画を学ぶ人間必読のバイブルとなっている。この本に書かれている、ヒッチコックの構図やカット割りや心理描写に関するシャブロルとロメールの執拗な分析を味わうに、特に(彼もサスペンス映画を多数撮った)シャブロルの鋭角的なのに切り口の奥が深い表現描写がヒッチコック直系の美意識に貫かれていることを、そしてその古典様式を継承しながら自分のスタイルを作り上げていった職人のしなやかなプライドを、改めて確認することになる。奇しくも、そのヒッチコックの“一番弟子”も、師匠と同じ満80歳で今生をクランク・アップしたわけだ。
(Éditions Universitaires / Ramsay)
《『Poulet au Vinaigre(1984)』予告編》
50本超の長編を撮っているのに、日本では何故かシャブロルはそれほど紹介されてこなかったことが残念だ。ゴダール『勝手にしやがれ』の演出監修がシャブロルだったこともあまり知られていないだろう。もしかしたら、ヌーヴェル・ヴァーグ作家の作品に“分かりやすい”難解な芸術性を求めてそれをありがたがる風潮があったために、シャブロル映画のエンターテインメント性は作家の仕事としては格下に見られたのかもしれないし、あるいは、彼はフランスの田舎のブルジョワ階級(家庭)を題材(舞台)にすることが多かったせいで、日本人には親しみも薄く、フランス映画としてシックでもスタイリッシュでもない、という捉えられ方をしたのかもしれない。
でも、その田舎のブルジョワ階級の、世間体を気にして外面を取り繕い続けるも、その実、人生にやるせない不満を抱えていたり、家族間に不和があったり、夫婦間にすきま風が吹いているような家族の描写の中に人間の悲しい本質をえぐる作風にこそ、現代社会に対する彼流の批評眼がギラギラしていて面白かったのだ。往々にしてB級映画タッチの、あるいはテレヴィチックなホームドラマ風の軽快でひょうひょうとしたポップな絵作りで普段“作家の映画”など観やしない大衆の視線を引き寄せ、その後、渦輪と陰影の織りなす心理劇に引き込み、観終わったあとに「オレの中にも、もしかしてこういう部分が潜んでいるんじゃないか……?」と思わせるのが彼の真骨頂ではないか。そんな平易な映像・編集の“可読性の高さ”の行間に、厳格な演出に基づく豊満な心理描写が横たわっているところが、言うなればパルプ・フィクションと古典文学の垣根を取っ払ったシャブロルの魅力である。
さらには品のいいデコやエレガントな小物使いも気が利いていたり、フレイム・ワークがかっこよく、きれいなものはちゃんときれいに、おいしそうなものはちゃんとおいしそうに、怖そうな目はちゃんと怖そうに映す、美醜に対する頑固なセンスから生まれる映像には、安心できて、心躍るカットが満載だった。
役者としてもコミカルな存在感があって親しまれたし、インタヴューを受ける際の飾らない語り口も人気が高かった。
個人的なことを言えば、イザベル・ユペールがぼくのフェイヴァリット俳優のひとりになったのも、シャブロルの描いた彼女の冷たい美しさのせいだ。
またすぐに真っ暗い映画館でシャブロルが観たくなった。
《シャブロル54本の映画の予告編を繋げて3分間に編集したもの》
《2009年11月のインタヴュー》