9.10.2011

例の読売新聞の社説

■先日の、例の読売新聞の社説にうなずく人は(残念ながら)皆無ではないだろう。

(↑リンク切れ後用)

とにかく古き昭和の時代が薫る文章である。あの時代はこういう考え方が主流だったはずだ。しかしバブルがはじけて以降のこの国の若者は、“豊かさ”という言葉に関して、ほぼ確実に、昭和人とは同じイメージを分け合っていない。にもかかわらず、未来の人間も昭和流の“豊かさ”を求めるに違いない、という、この前提の乱暴さ、あるいは視野狭窄さにいささかの疑問も抱いていない点において、この新聞は、未だに昭和人による昭和人のための新聞である。“マス”な発行部数に反した、この去りゆく人たちのためのミニコミ紙の風情に哀れを誘われるどころか、「わたしはなんさいまでいきられますか?」とお偉いさんに質問する子供の表情と、この社説が前提とする“豊かな国民生活”の概念との間のギャップに目まいがしてくる。

最後から二番目の段落に至っては昭和も平成もなく、悪い注射を打たれた耄碌が4月1日にすら書かないような妄文だと一読して思ったが・・・まさか天下の大新聞がこんな“修辞法的悪文”をエラーで掲載するはずがないので、この、わざとねじれさせたロジックの展開の中に狡猾に本音を縫い込んでいる、という読み方が正しいのだろうと思う。

「私たちも手放しますから、あなた方もそうしたらどうですか?」という外交は、根気、時間が要求されるから、年にひとりずつ交代する宰相当番制をとる国では実際問題として困難なことは分かる。しかし、それは別として、こういう社説を書く人のレペゼンする業界の本音は、実のところ、「そんな外交はゼニにならん」というところにあるのではないかと思う。

“抑止”というのは、やったらやりかえすぞ、という姿勢を見せて最初から抑え込む、という意味だ。どうみても“平和”とはほとんど真逆の考え方のはずだが、この新聞は、「原子力の平和利用」と称するものを通じて、そうした不穏な緊張を作り出すことが理想だと考えているとしか読めない、最終的に。
だったら「本当の平和はカネにならない」とハッキリ書いたらどうだろう。



大人災から半年。
明日から日本中でこれだけのアクションがある。



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9月11日は、福島原発震災の発生から半年。
今なお大地や大気や海への放射能の放出は続き、人や動物や自然を
傷つけています。特に、子どもたちや原発労働者の被ばくは深刻です。

原発安全審査指針の破綻が明らかになっている今、福島原発事故の
実態を無視したストレステストによって、停止中の原発の再稼動をすべき
ではありません。
原発の再稼働を止めれば、来春にはすべての原発が止まります。
今こそ、福島原発事故の現実と向き合い、エネルギー浪費を見直し、
自然エネルギーへの転換を全力で進めるときです。
9月11日~19日は脱原発アクションウィーク。全国から声をあげましょう!
各地で集会、デモやパレード、講演会、上映会やセミナー、チラシまきなど、
さまざまなアクションに取り組みませんか。
原発なしでも大丈夫!  再稼働を止めて、脱原発へ!

◆アクション登録はこちらから
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・9・11 再稼働反対・脱原発!全国アクション http://2011shinsai.info/node/540
<経産省「人間の鎖」1万人包囲アクション+デモ、原発現地のアクションと連携>
  ○集合場所変更
  13:00  日比谷公園・中幸門(日比谷図書館裏)集合[西幸門から変更]
   ※千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」C1出口より200m
       丸の内線「霞ヶ関駅」B2出口より300m
       都営三田線「内幸町駅」A7出口より150m
・9・11 エネルギーシフトパレード/代々木公園→明治公園 http://www.enepare.org/
・9・11 BE-IN集会/明治公園 http://www.be-in-tokyo.net/
・9・11 新宿・原発やめろデモ!!!!! /新宿 http://911shinjuku.tumblr.com/
・9・18 eシフト脱原発シンポ~こうして作る!原発のない社会/日本青年館 http://e-shift.org
・9・19 原発にさようなら集会―集まれ!5万人/明治公園 http://sayonara-nukes.org
<署名も実施中!>
他、各地でのアクション!