■今週、日食は見なかったが、ナニワの太陽を見た。新世界のリン・コリンズは、皆既どころか一分の翳りもなく、明徹な快晴そのものだった。と、いうような少々ベタな比喩使いがしっくりくる。彼女は我らの、文字通りの、ポピュラー歌手だからだ。
そのくせに、ここ東京では残念ながら彼女の姿をテレヴィで見る機会はほとんどなく(少なくともオレにはなかった)、プロモーション用の映像以外では、今までに動く彼女をきちんと見たことがなかったので、実際にどういう感じの人なのかに興味があった。《平成のゴッドねえちゃん》の異名を取るが、和田アキ子のように歌え、パンチがあり、ファンキーなシンガーであることは、CDを聴けば充分に分かる。でも、ということは、どこかがらっぱちで、少し居丈高なところがある人なのかなと思っていたのだ。が、それが全然違った。
満面の笑顔からこぼれる白い歯と、体を折った腰のカーブで「ありがとう(イントネイション注意)」を言う感じは、さながら左右の手にマイクと串かつを持った聖姉のごとし、奥床しく、強烈にキュート。
シリアスな歌詞を歌う際のキリッと怖いくらい鋭い目つきは、そのヴァースが終わって間奏に入った瞬間に、客席からの割れんばかりの拍手と掛け声で破顔するのだが、その振り幅がクラクラするくらいチャーミングなのだ(ワン・コーラス終わるごとに聴衆がステージに拍手を浴びせる様式は、完全に昭和歌謡ショウである)。
彼女はその昭和の歌謡曲/演歌歌手と、ディープ・ソウル/ブルーズ・シンガーとしての配分を、ハード・ディスクのパーティションを切り直すみたいに、曲ごとに自在に調節する。じっとり湿った不倫ソングから、燃費リッター2kmのアメ車のコンバーチブルに乗って海風と排気ガスを感じるグルーヴィーなロックン・ロールまで、その歌芸の幅と深みのある味わいは、毎曲ごとに、曲のエンディングが1秒でも遅くあって欲しいと思わせる。で、そういう音楽ほど、一瞬で終わってしまう。で、ショウを見ている最中に既に、次はいつ東京で演るんだろう、と思う。
また、ユカリ姉さんは、ときおりそのパーティションの円グラフとはまるっきり別のモードで歌ったりもする。
例えば今年の初ソロ作、素晴らしい『HOU ON』に入っていた故・高田渡の「値上げ」のカヴァーなんかもそうだが、それを昨日の吉祥寺スターパインズカフェでのショウでは、(アルバムでも同曲で弾いていた)ゲストの中川イサトのアコースティック・ギター1本で歌った。“吉祥寺の歌手”高田渡の曲を、彼と親交の深かった、つまり大阪と武蔵野を結んだフォークの生き証人中川イサトのギターで大西ユカリが歌うのを吉祥寺で生で聴くなんていうのは、これまた相当にスペシャルで感動的なことで、そんな文化的コネクションの豊饒さの中においてのみ、オレは愛国主義という名の目まいに抵抗しないのだ。
それと、バック・バンドのオヤジ連の、小さな小屋を震わす生々しい演奏がまた素晴らしかった。味のいい小技を涼しい顔で細部にふんだんに盛り込んだ、ゴージャスじゃないけど剛健な、ブルージーな加齢臭だけ放ち、体脂肪は極めて少ないプロの音だった。
二部構成のショウ(そのどっちも衣装のクールだったこと!)は、正味2時間、隅々まで一瞬も飽きさせず、とにかく微笑ましく、パワフルで愛らしいものだったが、最後の「Blues Man」(『HOU ON』収録)では、体中が痺れて、ちょっと泣きそうになった(そんなことは滅多にない)。
・・・しかし東京の、特に武蔵野の民よ。
昨日の夜7時半に大西ユカリを見ずに、一体何をしていたのだ?