7.10.2009

カルチュラル・タイフーン(その2)/アナーキスト ドラム ギャザリング

■先週末の《カルチュラル・タイフーン 2009》@東京外国語大学の話の続き。


《第一回 日本バビロン検定試験》については、主催協会のバビロン診断士が自ら事後のコメントを発表した。今後、検定結果についての詳しいレポートもなされるらしい。


で、オレは土・日の2日間、いろんな人と会い、いろんな話をし、シンポジウムやワークショップに参加し、夜遅くまで大学構内の中庭で仲間たちとビールやワインを飲み、そしていくつかの物を買った。忘備録的に書いておくと:


たとえば、土曜日には下北沢の大好きな古書カフェ気流舎の加藤さんが出るので注目していた《出版、書店、流通のオルタナティヴ》というシンポジウムに参加。


月曜社 取締役 小林浩氏

・東京外国語大学出版会 編集部 竹中龍太氏
・気流舎 加藤賢一氏
・Numabooks 内沼晋太郎氏
・大阪屋 営業部 特販第1課 鎌垣英人氏
・(司会)一橋大学言語社会研究科院生 須納瀬 淳氏


といった興味深い面々による、出版業界の、そして書籍の新たな可能性と近未来の姿/あり方について考える、3時間半に及ぶセッション。


日曜に参加して面白かったシンポジウムは、ブラックリストの会 in東京が主催した《大学、知識人、反資本主義——大学はなぜタダでなければならないのか?》で、パネルには矢部史郎、白石嘉治、松本麻里の各氏、『VOL』の編集委員としても知られる3人がセッションした



また、土曜日には『レゲエ・トレイン』(青土社)の著者として、あるいは上野俊哉さん、毛利嘉孝さんとの共訳による、ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック 近代性と二重意識』(月曜社)などで著名な、今は関西学院大学で教えてらっしゃる鈴木慎一郎さんとしばらくぶりで会って、学食で一緒にメシを食いながらいろいろと話した。2人で歩いているときに毛利さんにもお会いしたが、他の方とお話し中だったので、会釈するのみ。そのときに慎一郎さんからポール・ギルロイの和光大学での講演録冊子をいただいた。



その講演でギルロイは、ボブ・マーリーの存在とその音楽性からポスト/アンチ植民地主義のあるべき姿を考えているのだが、慎一郎さんはその内容を受けて、今も“健在”なマーリーの“亡霊”についてのテクストを、誰もが頷ける実例を多く挙げながら(今年のオバマ就任記念コンサートなどごく最近の事例にも触れている)書かれていて、いただいた冊子にはそれも収められている。調べてみたら、その慎一郎さんの面白いテクストの全文はここで読めるので、少なくともマーリーが好きな人には是非読んでもらいたい。



あとはRLLのブースでTシャツ、模索舎のブースでは本を眺め、IRAの物販ブースで『東京なんとか(7月号)』を拾ったり、未読だったジンや雑誌を買った。あとサパティスタのスローガン《わたしたちみんなサパティスタ》を縫った生地片(好きな服などに勝手に縫い付ける用)付きのバッヂ(¥150)も。






しかし、今年の《カルタイ》で自分にとっての一番の目玉だったのは、イルコモンズさんがファシリテイターを務めるワークショップ《アナーキスト ドラム ギャザリング》だった。このブログを書くのが遅くて、既にイルコモンズさんのブログに、当日参加したyoyoさんや3000さんのいいレポートが載っているので、恥ずかしながら、もう彼女たちの文章にほとんどつけ加えることはない。


(総ての写真がそうですが、クリックすると拡大されます)


“アナーキズム”と“人が集まってドラムを叩くこと”にどんな関連があるのだ? という読者に対してこのワークショップの意味するところ、その意義を簡単に説明するなら・・・この試みは、みんなで輪になり、誰にも強制も管理もされない状態で、それぞれバラバラな打楽器(個性)を手に持ち、バラバラの律動(=リズム・・・行動、考え方と読み替えられる)を表現する中で、各人が他人のリズムをよく聴きながら、みんな(集団、社会)との距離感を測り、その中に自分を位置づけ、ときに自律的に主張し、ときに周囲を支える方にまわり・・・そんな調子で各自の自由を最大限に尊重しつつ、共通の目的である“よりよいグルーヴ”(=自由と協調とのバランスが取れたポイントに立ちのぼってくる、連帯社会の中で生きることの高揚感)に向かっていくための実験。要するに理想的なアナキズム社会を、リズムのウネリによって現前化させる試みというわけだ。

もちろん、このグルーヴはそれを体現すると同時に、対バビロンの路上デモの現場では非暴力の抵抗と主張の言語としても機能するから、そのためのトレーニングでもある。


このワークショップに続いて屋外で行われた uran a gel(ウランアゲル)+T.C.D.C.のライヴにも飛び入りでドラムを叩かせてもらった。


こういう楽しいイヴェントは、ここでも事前に告知しておくべきだったと、つくづく思う。



最後にこの2日間に体験したことの中からもう1つだけ書いておくなら、それは惜しくも昨年亡くなった筑紫哲也さんの遺族から寄贈された彼の蔵書を我々に分けてくれるブースも出ていて、そこで本を買ったことだ(買値は定価の半額を最低金額として、買う人が自由に決められる)。そこでの売り上げは全額、9月に東京・渋谷で開催される、全国の市民メディアが一堂に会する《TOKYO メディフェス2009》の開催資金の一部に充てられる。


最近では雑誌『en-taxi』でも特集が組まれていたけれど、同じく去年、筑紫さんより半年ほど前に他界した草森紳一さんの蔵書がたいへんなものであることは有名だが、ちょっとしたご縁があって、亡くなったあとのその蔵書の整理を、昨年少しだけお手伝いした(と言うのもはばかられるほど、少しだけ、だったのだが)。

その蔵書整理プロジェクトのブログもある。


そしてその草森さんの随筆、読みたいと思っていたのに買い漏らしていた『本が崩れる』を、筑紫さんの蔵書の中に見つけたのだ。欲しかった草森さんの著書を筑紫さんの蔵書から分けてもらうなんて、ちょっとした体験でしょう?



合わせて、筑紫さんが雑誌『話の特集』に連載していたコラムをまとめたエセー集で、現在絶版の『筑紫哲也のき・ど・あい・らく』も、ご本人の持ちものから分けてもらった。


有意義な週末を過ごし、そして、いい経験に加え、読みたいものが目の前に積み上がる。こんなに楽しいことはない。