10.03.2009

tokyoなんとか10月号


■今週のグラトス=グラティス=ロハ(は死語か? でもオレはロハスよりロハな人間だ)・・・要するに金を払わずに楽しめるもの、その1。現物を手にできる人は配布店で。難しい人は、毎月のように以下のリンクから落とせる。


落とすのが面倒、という人でも、是非イルコモンズ氏の《なんとかフェス》原稿だけでも、倫理的に正しくかっぱらってきたので、ここで読んで欲しい↓

▼イルコモンズ「イルコモンズのなんとか原稿」

4泊5日の「なんとかフェスティヴァル2009」からもどってきたら、気のせいか、ものがよくみえ、耳がよくなってた。気のせいでなければ、あたまもすこしよくなった気がする。どうやら感覚がひらいたらしい。じっくりものをみたり、じっと耳をすましたり、しっかりものを考えるようになった。こどものころ、キャンプから帰ると、「なんだか、たくましくなって帰ってきたね」と、よくそう云われたもので、なるほどそれに似たところもあるが、すこしちがう気もする。おそらくそれは、日ごろ、聞きたくもない音楽や見たくもない広告、知りたくもないニュースや食べたくもないメニューであふれた、アシッドな資本主義の世界で、あたまを狂わさずにサヴァイヴしてゆくため、知らず知らずのうちにOFFにしていた感覚がオープンになり、リヴァイヴしたのだと思う。つまり「サヴァイヴ&アライヴ」の「なんとかフェスティヴァル」は、「リヴァイヴ」のフェスでもあったわけだが、それ以上にまずは「アライヴ」のフェスだったと思う。なにを「生きた」かといえば、もちろん「革命後の世界の暮らし」であり、「金もうけ連中の世話や餌食にならなくて済む生活」であり、「エコ=ECO=END CAPITALISM ORGANICALY=有機的に資本主義を終結させる)」な生活である。それは、朝起きてから朝寝るまで、ひっきりなしに誰かがドラムやギターを鳴らしていたり、昼間からなにもせずただぶらぶらしてたり、夜中に酔っぱらって地面で眠りこんでたりしても、まぁ「なんとか」なってゆく暮らしであり、「なんとか」なりそうにない場面になればなるほど、みんなでよってたかって「なんとか」してしまう、たくましい生活である。そんな「なんとか」ライフをアライヴしたのだから、このフェスに参加した100人はさぞかしみんなたくましくなって帰ったのではないかと思う。。。という、この作文も実は、「こまった、こまった。「TOKYOなんとか」10月号に載せてもいい原稿とかないでしょうか?」というIRAの成田くんからのSOSメールをみて書いた「なんとか原稿」だったりする。成田くん、これで「なんとか」なるかな?

それはさておき、こないだ、この「なんとかフェス」をドキュメントした映画「なんとかフェス・ざ・ムービー」をみた。その、とにかく、うるさくて、やかましくて、みてると、また感覚がひらいてしまいそうになる映画をみながら思ったのは、「世界がもし100人の村だったら」ではなく、「世界がもしこんな100人の村だったら」ということである。映画はまだ未完成だけど、完成後の映画の宣伝コピーを先につくったので、この「なんとか原稿」のおまけにつけておきます。

この映画は
「革命後の世界」を先につくって生きてしまった
「百人一揆」の記録である。
「もうひとつの世界」は可能なだけでなく、
もうとっくに生きられはじめている。
 見よ、呆れよ、
そして、おもしろければ、来年、参加したまえ。
 これが「革命後の世界の暮らし」だ!


【名称】 「イルコモンズのなんとか原稿」 ブログ版
【分類】 オープンソース・コンテンツ
【仕様】 「TOKYOなんとか」10月号掲載版をソースにコンテンツを改変。
【帰属】 排他的・独占的コピーライトなし
「クリエイティヴコモンズ・ライセンス 表示-非営利 2.1 日本」対応
   この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
【備考】 文章の改変・翻訳・リミックス推奨

[警告] この記事の無断転載の禁止を禁じる。

***かっぱらい、ここまで***

試写会で観た、「なんとかフェス・ざ・ムービー」の1st. ヴァージョン、すげえ面白かった。
決定版が一般公開されるあかつきには、またここで告知します。