10.29.2010

雑記

■明確な締め切りのある仕事、明確な締め切りがないだけにプレッシャーを自分に課している仕事が重なって、ここ数日、ほとんど家を出ていない。

昨日は行きたかったこれに行けなかった。

昨夜の朝日新聞夕刊を見たら、松本哉氏が先日韓国で入国拒否をくらった笑える話が記事になっていた。


この話は聞いていたが、自分で新聞に書くとは思わなんだ。それに、こういうオレの注目する記事はほぼいつもasahi.com/ では読めない。これ読みたい人の多くは新聞取ってないと思うから、載せておきました。
asahi.com/ で彼の名前で検索したら、先日紹介した〈なんとかフェス〉の記事はちゃんとアーカイヴされてた。カラーで読めます。

明日の晩はジャー・シャカ@代官山。多分、行けないだろう。〈Jah Shaka〉と〈代官山〉というワードが、どうにもうまくオレの頭の中で結びつかない。
しかし、この人のフライヤーはイギリスでの毎度のセッションも、日本でのヤツも本当にかっこいい。


ジャー・シャカのセッションは、彼のホーム・グラウンドであるロンドン、ホロウェイ・ロードの〈ザ・ロケット〉で何度か体験してるけど、あれが最高。また行きたい。音を浴びるということでいうと、オレの人生、ロケットでのシャカのセッション以上の経験はないなー。代官山で同じ気持ちになる自信がない。

この↑リンク先に、90年代のジャー・シャカ・セッション@The Rocket London 映像発見。音は当然現場で体感する素晴らしさを何も伝えられていないが(あの大音量がこんなカメラ機器のマイクで許容できるはずがない)、雰囲気はよく分かる。実際の場所はもちろんもっと暗いので、録画した映像を加工したものなんじゃないかと思う。朝5時のお開きの瞬間にはこんな感じに明るくなるが。

別の発見。〈Alternative Reel〉というサイトに[Literary Anarchists]という興味深いペイジを見つけた。

流石に好きな詩人や作家が多いな、と、嬉しくなったが、ジャック・ケルアックはアナキストとはちょっと違うだろう、と思うし、他にもそんな人が何人かいるが、オレは個人的に、そういう緩さをあまり程度がひどくない場合は適当に許容したいと考えるたちだ。ノーベル文学賞受賞者ジョージ・バーナード・ショウが、「普通の人間はアナキストである」などと言ったのとは別の意味で。

あのジョージ・バーナード・ショウというヤツ、オレはそのひねくれ方があまり好きではない。「16歳でアナキストにならないのは意欲の欠如であり、40歳にしてなおも“そう”であることは判断力の欠如である」とかも言いやがって、それでオレは40歳になってからそう名乗るようにしたんだった。ざまあみろ。

で、この[Literary Anarchists]というペイジで一番目を引いたのはマルカム・ラウリーの写真だ。かっぱらってしまえ。

Malcolm Lowry [1909-57]

"Where are the children I might have wanted? You may suppose I might have wanted them. Drowned. To the accompaniment of the rattling of a thousand douche bags." —Under the Volcano, 1947

今ちょうど、その『火山の下』の新訳を読んでいるところだったのだ。