10.30.2009

11.3 緊急アクション



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戦犯ブッシュを裁く! 11.3緊急アクション

日時:11月3日(火)
○街頭宣伝 16時:水道橋駅西口出口集合
○デモ集合 17時 「西神田公園」(千代田区西神田2-3-11)
      交通:神保町・水道橋駅から徒歩5分
○デモ出発 17時45分 西神田公園→水道橋駅横→東京ドーム前→礫川公園
★プラカード、楽器、靴などの持ち寄り大歓迎。
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賢介、ブッシュを撃て!
戦犯を逃がすな。ブッシュをとらえろ!
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11月3日にジョージ・W・ブッシュが来日し、東京ドームでの日本シリーズ第3戦の始球式に参加するそうだ。ジョージ・W・ブッシュ元合衆国大統領はアフガン・イラク戦争を指揮し、軍民合わせて数十万人を虐殺した。またその後もアフガン・イラクへの派兵を継続し、アフガン・イラクの人々の生活基盤を破壊し続けた。

ありもしない「大量破壊兵器」を開戦理由にでっち上げ、イラク中部のファルージャでは殲滅攻撃で数え切れない死者を出し、アブグレイブ・グアンタナモでの人権侵害も明らかになった。一方日本もイラク戦争にいち早く支持を与えてジョージ・W・ブッシュによる虐殺を政治的に支援するとともに、自衛隊をイラクに派兵し、物理的にも虐殺と破壊を助けた。そしてアフガン・イラクは今も未曾有の混乱状態だ。

ジョージ・W・ブッシュはその与えられた政治的権限を人々を生かす道のために用いるのではなく、数多の人名を失わせ、人の歴史が営々と積み上げてきた暮らしを破壊することに用いたのである。この責任をジョージ・W・ブッシュは問われなければならない。

いまなおかの地で人が安心して夜を迎えることがないのに、どうして虐殺と破壊の責任者であるブッシュが安眠を得られてよいのだろうか。易々と他国に入国し続け、厚顔無恥にも始球式を行うことを私たちは認めない。ブッシュに戦争の責任を問うことは、人としての私たちの使命でもある。

戦犯ブッシュを逮捕しよう! 戦争犯罪に時効はない!

【主催】 「戦犯ブッシュを裁く! 11.3緊急アクション」実行委員会
【連絡先】 反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉09・実行委員会
      メール:war_resisters_fes09@yahoo.co.jp
      ブログ:http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
フリーター全般労働組合電話/FAX:03-3373-0180

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■文化の日とは、〈国民の祝日に関する法律〉によると「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨とした祝日だ。その日に、自由と平和に対する最大の敵が東京ドームのマウンドに上がるという。

無差別に人間の頭上から爆弾を落とす人間に、そもそも文化だのスポーツだのを語る資格も、それらを祝福する権利もない。
呼ぶヤツも呼ぶヤツだし、来る方も来る方だ。

マニュ・チャオは、先日リリースした最新ライヴ・アルバム『Baiorena』に収録された「La Primavera」を歌いながら、〈今夜もこの曲を、地球の未来にとって、すべての子供たちにとって、最も危険な最悪のテロリスト、ジョージ・ブッシュに捧げなくてはならないのが哀しい〉と叫んだ。

これまで常々、ブッシュに中指おっ立てたいと思ってきたみなさんも、これを読んでコンピュータの前で悶々としているだけでは体に悪い。当日来られる環境にある人は、みんなで集まり、東京ドームに向かって“体にいい”運動をしにいこう。
そしてそれを我々の文化にしよう!

10.29.2009

追記

■韓国のギター工場労働者の話も深刻だが、日本のハンバーガー屋の名ばかり店長が亡くなった(過労死が初認定された)話もあっという間に世界中で報じられている。

このサイト〈It’s not only the potatoes that are fried at McDonald’s.〉っていう記事の締めのセリフや、〈I guess her family is in Mc Mourning….〉っていうコメントが不謹慎だが・・・。



とにかく、マクドナルドの店長が、家に帰って家族や恋人にスマイルできる生活が送れますように。

・・・これも笑える、けど笑えない。

韓国のギター工場労働者の話

■好きなアーティストの音楽にうっとりと聴き惚れるとき、そのミュージシャンの奏でるギターを作っている工場労働者たちが、よもやこんな風に搾取され、憤怒に打ち震えていようとは、夢にも思わない。

以下は本日送られてきたメイルだが、こういうのを読むと実に心が痛むし、複雑な気持ちになる。オレは肩書きに音楽評論家などとしたりするが、音楽なんぞを評論する前に、人間として伝え論じるべきことがあるんじゃないかと考え込んでしまうのだ。・・・少々ナイーヴ過ぎるか、とも思う。しかし、愛や恋やを歌う曲を奏でるその楽器が、労働者の哀しみや血と涙の上に削り出され、組み上げられて作られてるとしたら、一体どの耳がその音楽を楽しめるのだろう。甘酸っぱい歌メロに絡むギターを聴いて、口の中にしょっぱくて鉄臭いヘモグロビンの味がしてきたらどうだ?

もちろん、そんなことがあったからといって音楽が貶められるようなことがあってはいけない。だとしたら、音楽の歓びを心から享受するためには、それを享受したいと思う“ナイーヴな者たち”は、すべからくそのために“愚直に”闘わなくてはならないのではないか? なくなるべきは音楽ではなく、そのシステム= slave economy / slave master たちの方だ。

楽しい音楽を奏でるギターを作る人たちが、その音楽と同じように楽しい気分で日々を送れますように。
ナイキのスニーカー工場で働く人たちが、少なくとも、給料で楽々そのナイキのスニーカーが買えて、それを履いて楽しくスポーツができますように。
900円台やら600円台やらのジーンズを販売して得意げな日本のメイカーのお偉いさん方が、少なくとも、その工場の労働者が給料で楽々そのジーンズが買えて、それを穿いて自分たちのブランド・イメージ通りのライフ・スタイルを健やかに実践できている、あるいは同レヴェル相当のもっと趣味のいい生活を送れていることを、きちんとその自分たちの目で確認してくれますように。

前置きが長くなりました。以下、最後までがメイルの転載です。【転送歓迎】とありますが、そこからがメイルの中身です。(今日のエントリーに限らず、当ブログのオレの文章はすべて、一部分であれ全文であれ、出所さえ記してもらえれば、無断で好き勝手に使ってもらって一切構いません)。

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【転送歓迎】
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【東京、横浜のアーティスト、音楽家、活動家、物造り人、クリエーターの皆さん!連帯と創造的なアクションを呼びかけます。】

これは世界で流通している三分の一のギターを作っているにも関わらず自分たちの生計を立てられなかった人たちの話です。
皆さんはIbanez(アイバニーズ)、Fender(フェンダー)、Cort(コルト)もしくはParkwood(パークウッド)という(ギターメーカーの)名前を知っていますか?

彼らの工場は換気もされず、窓もなく"high productivity(高-生産力)"と呼ばれています。彼らは籠の中の雌鶏のように休憩もなく働き、結果的に体を壊したり怪我をしてしまいました。ある労働者は切断機で指を切り落としてしまい、別の労働者はマスク一つでヤスリをかけ研磨する作業によって慢性的な筋肉や骨の病気に苦しめられました。彼らの多くは通気のなく溶剤に満たされた塗装部屋で働くことによって気管支炎や喘息にかかってしまいました。彼らは残業手当もなしに働き、早き出勤して遅く帰宅し、過労のため工場で倒れてしまうことさえありました。そんなときは病院のベッドに臥せながら、ボスから辞表にサインをすることを求められました。

それでも、このような韓国の労働者たちは自分たちの手で作った真珠がちりばめられた煌めくギターを前にすればいつだって幸せだったのです。そしてそのギターは世界各国に輸出されていきました。彼らはプライドをもって10~20年の間、昼夜を問わず一生懸命働きました。ついに彼らは労働組合を 2006年に結成し、12年間で最高水準まで賃金をあげるに至ったのです。しかしそれは韓国で支払われる賃金のほとんど最低ラインに過ぎませんでした。

一方でコルト・コルテックの最高経営責任者Park YoungHoは7800万ドルの資産を築きました。今では世界の金持ち125位に彼はランキングされています。彼は1997年に新しい工場を中国に作った後、次第に韓国内での生産ラインを縮小し国外に拠点を移していきました。これは労働者に知らされることなく進められた計画だったのです。更に2007年4月に仁川(インチョン)では56人の労働者が解雇、大田(デジョン)での事業も秘密裏に終了させられ、三ヶ月後には残った67人の労働者も首になりました。会社の秘匿的で不法なリストラ方針への抗議の中、労働者の一人であるLee Dong Hoは2007年12月に焼身抗議をしました。しかしParkは雇用者の命を気にかけることもなく、2008年8月には偽装破産を主張して仁川の工場も閉じてしまったのです。それ以来、行き場もなく、非合法に解雇された労働者たちは閉鎖された工場を守り占拠することで抵抗しているのです。

昨年、彼らはソウルの川縁にある高架電塔で一ヶ月ハンガーストライキを行いました。彼らはコルト本社を占拠しようとしましたが、特殊訓練された警察に全員逮捕されてしまいました。おそらく労働者たちが警察署に引きずられ犬扱いされているその瞬間も、Fender、Ibanez、Cort、 Parkwood のブランド名が冠されたギターは世界中のどこかでラブソングを奏でていたでしょう。

今やそのメロディの音色は違った風に聞こえることでしょう。労働者たちはこの間の無頓着さや深刻な困難さをひどく不安に思っています。彼らは人々の無関心、疎遠さ、忘却に直面することを恐れています。

幸運にも、韓国の多くのアーティストやミュージシャン、アート・文化組織に属している人たちが労働者たちの運動を支援し、コンサートや展示会、ドキュメンタリー制作を行いました。また春にはドイツのアーティストとミュージシャンが世界楽器展覧会「Musikmesse 2009」で同じようなことをしてくれました。

(彼らの支援行動のビデオ)

私たちは皆さんに創造的な行動でCort社の不正義を世間に広めてもらえるようお願いをします。2009年8月にソウルの高裁では彼らが行った多くの解雇は非合法であると裁定されています。しかし会社は何も変わっていません。

幾人かの労働者たちが10月30日に東京に到着し、11月5日から8日に横浜で開催される「2009楽器フェア」に訪れます。私たちはとりわけ東京と横浜で活動するアートや文化グループに所属している人たち、メディアや社会変革のために活動している人たちに理解と支援を呼びかけます。私たちは望みます。皆さんの連帯と創造的な行動を。

■東京と横浜の人たちができる支援:

-連帯のためのライブ、街頭演劇、展示会
-行動やパフォーマンスのためのスペース確保
-横浜-東京間のナビゲートや運転
-韓国語-日本語の通訳・翻訳
-行動をともにする
-書いたり、記録したりする。ジャーナリズムやブログなど
-その他の創造的な方法で!!!!!

■問い合わせ先(日本)

■日本語で読めるコルト・コルテック闘争の記事

10.26.2009

オレは何故、同性愛者ではないのか?

■と自問しても、今のところオレの答えは1つしかない。それは、“気がついたら同性愛者ではなかった”からだ。疑問に対して立てる答えとしてはまるで説得力がないが、説得力などなくて当然だ。だいたいにおいて、“自然にそうだった”ことに対して理由などないのが当たり前だし、よって説得力なんてなくていい。人間として〈同性愛者ではない〉こと自体が何か重要な意味を持つわけではない。その一方で、自分が今後も同性愛者にならないと判断する根拠だって、何も持ち合わせていない。

そしてそれは〈自分は何故、同性愛者なのか?〉という問いを立てる人にとっても全く同じであるはずだ。つまり、オレは今、単に〈同性愛者ではない〉だけであって、過去も未来も〈同性愛者と同じ〉人間であるという、至極当たり前のことを確認するだけの話なのだ。

・・・という考え方でいくと、同性同士の結婚が男女の結婚から差別される理由は見当たらないのだが、実は日本以外でも、同性同士が結婚できない国はまだ結構ある。で、知る限り、それらの国の多くは、その考えの根拠を、同性愛そのものをタブー視する宗教観に置いているようだ。

しかし、**のひとつ覚えのように、聖書が同性愛を禁じていると信じ続けている人たちは、現代の聖書解釈の主流となっている学説に耳を傾けてみるべきだろう。そもそも聖書には神が同性愛を禁じると明言した箇所は一箇所も出てこないし、同性愛を禁忌とする考え方の根拠となってきた〈ソドムとゴモラ〉の罪のくだりにおいても、神の怒りを買うその“罪”が“同性愛”のことだと解釈することに正当性を見つけられるだけの根拠はまるでない、というのが今日までの聖書研究の客観的に有力な結論なのである。

キリスト教の比較的理性的な教派は、その結論に対するリアクションとして、今まで同性愛を否定視してきた自らの考え方に対する何らかの反省をこれまでも公に表明してきた。そしてつい先日も、スウェーデンのルター派教会会議でも同性愛者の結婚を認める議決がなされたばかりで、この議決は時間を空けずにこの11月01日より発効することになった(同国では、同性婚を認める法律は先に施行されている)。

22日付けのスウェーデンの英字新聞『The Local』は、《Church of Sweden says yes to gay marriage》という見出しでそれを報じている。



“Church of Sweden”は、スウェーデン国民の4人に3人が属している宗派であり、対してカトリックや正教会は、記事によると、この決定に落胆している。

いずれにしても、これでスウェーデンは、スペイン、ベルギー、オランダ、ノルウェーに続き、国内の主流の教会が同性愛カップルの結婚式を執り行うと決めた国になった。

知られていることだと思うが、フランスのPACS(民事連帯契約法)など、異性間の婚姻関係に準じた権利を同性カップルにも認めるいわゆる“パートナーシップ法”などの法律によって、同性カップルの権利を保護している国も多い。

さて、カトリック教国でもイスラム教国でもなく、宗教的なハードルはないはずの日本でこの議論が表だってなされないのには何かしら特殊な事情があるのかもしれないが、曲がりなりにも民主主義国家になるんだったら、いつまでもそれでいいはずはなかろう。声を挙げるべき人たちが声を挙げられず、ひっそりと暮らすことを強いられるような国の状況には、同じ国の民として重苦しさと息苦しさを伴う嫌な危機感を感じている。

今朝もコーヒーを飲みながらテレヴィのワイドショウを眺めていたが、押尾のりピー報道の時間からほんの30秒、こういうニュースを報じる時間を割けないもんかなとつくづく思う。あるいは、日本の主力メディアがこういうニュースを国民に伝えたがっていないのだろうか。こっちは全人類の尊厳に関わるニュースなのだが・・・。

とにかく、ニュースそれ自体にも貴賎はあるし、当然それを報じるメディアにも歴然たる貴賎があると思う。

10.24.2009

買いもの #02

■今日のタワーレコード(渋谷店)。


・ジジ・グライス&ジャズ・ラブ・クインテット
・ジャー・シャカ・プリゼンツ・ザ・ポジティヴ・メッセージ
・サヒブ・シハブ/サマー・ドーン
・三上寛/ひらく夢などあるじゃなし~三上寛怨歌集
・パール・ジャム/バックスペイサー

ここ1ヶ月ほどは、HMVのウェブ・ショップで急がないものと買い忘れていた輸入CDを何枚か合わせて安く買い、三軒茶屋のフラップノーツでは中古のアナログ盤を買っただけで(この店は安いんだ。ちゃんと欲しいレコードを10枚くらい買って5000円程度しか払ってない)、欲しい新譜が出たときに行くことに決めているタワーレコードには行っていなかった。

で、今日の一番の目的は、10/21発売の頭脳警察のニュー・アルバム(オリジナル・スタジオ録音作としては18年振り!)『俺たちに明日はない』だったのだが・・・売場になかったので店員さんに訊いたら、11月頭に発売延期になったという。

それで買い物の気分は一気に盛り上がらなくなった。カネを持ってないので、まあ、盛り上がらなくてよかったのだが。
結局買った新譜は、頭脳警察が出たら一緒に買おうと思って“ためて”いたパール・ジャムだけ。あとは今年の再発CD化の目ぼしいものを3枚。新装再々発の三上寛は、「パンティストッキングのような空」をHQ(High Quality)CDで聴いてみたかったのだ。ジジ・グライスのCD化は今年じゃないし、いつかアナログの中古盤で探したいと思っていたものだが、日本盤CD特別価格1100円だったのでつい、買ってしまった。

今調べたら、頭脳警察は11月06日に発延みたいだ。
特にその中の、「死んだら殺すぞ」って曲が早く聴きたいんだ。

10.20.2009

(自転車に乗って)友川カズキ(を聴きに行く)

■暑からず寒からず1年で最も好きな季節、その秋の夜に、自転車に乗ってタラリタラリと友川カズキのコンサートに行くこと以上に好ましい時間の過ごし方はないように思われたので、しばらく前にチケットを予約して、この木曜の晩を待っていた。



会場は、この夏渋谷・桜丘町から目黒区の碑文谷へ引っ越した、歴史ある硬派ライヴ・ハウスのアピア。桜丘でも友川のライヴを何度か見たが、あの、微かに異次元的で、歩いてすぐそこにあるモヤイ像前やハチ公前とはまるで質の違う時間が流れる・・・つーか、むしろ時間のいい加減の弛緩と停滞が気持ちよくて貴重な空間だった、あの渋谷アピアで聴く友川は格別だった。

今年7月、オープン40周年のタイミングで碑文谷に移り、店名もAPIA 40(アピア・フォーティー)としてニュー・オープンしてからまだ1度も行っていなかったので、店の雰囲気がどう変わったのかを見るのも楽しみだった。その7/5の《NEW OPEN オープニングLIVE》も友川カズキだった(見逃した)が、そのくらいアピアは友川にとって縁の深い、彼のホーム・グラウンド的なライヴ・ハウスだ。オレにはあんまり趣味というものがないんだけれども、年に1度くらいアピアで友川を聴く、というのは、我ながら非常に趣味のいいいい趣味だと思っている。

新しいアピアの店内には感心した。今度は“路面店”ではなくて小綺麗なビルの地下にあって、渋谷よりはずっとスッキリした清潔感のある内装なのだが、しかし40年間で培った精神が途切れた感じが全くしない。ホールは広くなっているのに、以前より座り心地のいい椅子の全席どこでもテーブルにグラスが置けるようになっている。もともと(多分)5~60席しかない小屋だったが、ホールが広くなった分、お客さんを詰め込もうとしないでテーブルを入れる、という考え方が気持ちいい。壁を飾る小野塚香さんの木彫りの彫刻も、渋谷時代の歴史と旧店のムードが集約保存されたその上からポジティヴなエネルギーが静かに沸き立っているような作品で、19 : 20の開演まで惚れ惚れと眺めていた(このおかしな開演時刻・・・)。

で、友川カズキは、相変わらずカッコいい。世の中の美しいものを咀嚼しては力ある言葉に再生産し、世の中の汚いものにも噛みついて、毒を混ぜてはその汚いものの上に倍にしてぶちまけるような歌がパンクである。決してクールな人ではない。還暦を迎えようとしているのに、そして40年近く歌っている大ヴェテランなのに、老成した感じがないどころか、もがきまくっている。・・・といっても、職業歌手としてうまく世の中を渡ろうとしてもがいてるんじゃなく、その逆で、その自分の歌を変えないためにずっともがいている。当然歌手として商業的に大成しているとはいえず、ステイジでギターを抱えた本人が自嘲気味に語るように、本当に競輪で生活しているのだろう。

酒を飲みながら演奏する人は多々見てきたが、見ているこっちが心配になるくらい酒をガブガブ飲みながら歌うのは友川だけだ。歌っている場所の右手、予備のギターのホルダーよりも近くに専用の“グラス・ホルダー”があり、そこには氷と輪切りのカボスが入ったデカいグラスがある。足もとにはこれまたデカい水差しに(渋谷ではやかんだったが)、焼酎の水割りだろう、透明の液体がなみなみと入っている。1曲歌う前と歌ったあとに、それをガブガブと飲んで、何度も何度も足元の液体を自分でグラスに注ぎ足す。歌ってるときの真剣さにも増して、キリッと引き締まった表情になるのがその液体を飲んでいる瞬間だ。オレは、友川の酒を飲む瞬間の顔を見るのが好きで、その顔がよく見える場所に座る。

友川を囲むミュージシャンは、ファンにはお馴染み、ピアノに永畑雅人、ドラム/パーカッションは石塚俊明(“今を時めく”頭脳警察のTOSHIだ)といういつものトリオ構成だったはずが、ピアノの永畑が「自転車で転んで手首を骨折した」というおよそプロのピアニストにあるまじき事故で参加せず、この日は友川とTOSHIの2人だけだったが、それが結果的にレアな感じで、それはそれでよかった。永畑の情緒的なピアノがない分、ダイレクトに友川に干渉してしまうところをうまくコントロールした、酔っ払いのくせに細やかな石塚のアド=リブのリズム・ワークが深い。しかし、もし飲み屋に入ってこの人が1人で飲んでいたら、絶対に隣のテーブルには座りたくない。実はそんなTOSHIの怖いルックスがまた、オレは好きだ(昔から、オレは頭脳警察はPANTAじゃなくてTOSHIが好きだった)。

で、オレの座った場所からは、軽く眉間に皺を寄せて液体をあおる友川の引き締まった表情と、その後方には、茶色の眼鏡越しにまなざしがギラリと光るTOSHIの顔がほぼ一直線で見え、それはそれは写真に撮って飾っておきたいような光景だった。日本パンク史教科書の口絵の最初の方にカラーで載せたい絵である。

「春は殺人」~「少年老いやすくガクッとなりやすし」という素晴らしいオープニング(オレの大好きな2曲がいきなり頭から続いた!)から、TOSHIのドラム・ソロも友川の愉快なトークもたっぷりはさみ、アンコールの最後、中原中也の詩に友川が曲をつけた名曲「湖上」まで、2部構成、約3時間の素晴らしい時間だった。



帰りも東横線の学芸大学駅(アピア40の最寄り駅)を越えて田園都市線の方角へ、夜風を切って気分よく帰ってきた。ウィスキーでガツンと腹が減ったので、途中、246沿いの噂のラーメンの新店《蓮爾 さんこま店》に初めて寄ったが、このラーメン(と、みんな便宜上呼んでいるに過ぎない、知ってる人は知っている特別な、かつ凶暴な別の食い物)も、噂にたがわず実にパンクだった(で、かなりうまいが、正直なところ、食事というよりは、逆にカロリーをため込むハードなスポーツに近い)。

世田谷と目黒の閑静な住宅街をぷらぷら自転車こいで友川カズキを見に行き、帰りに《蓮爾 さんこま店》に寄る。一部のマニアは顔を真っ赤にして羨ましがるような都会的でスタイリッシュな秋の夜長の過ごし方であろう。なので、自慢したくてここに書いてみた。


(★11月7日から順次公開される頭脳警察のドキュメンタリー映画
3部作、全5時間14分。)

10.14.2009

マニュ・チャオ通信(#14)


■この写真は、なにも間違えたんじゃなくて、今月10日からタワーレコード各店店頭で配布しているフリー・ペイパー『intoxicate』最新号です。

このブログで Manu Chao & Radio Bemba Sound System『Baionarena』のレヴューをしていなかったのは何故かというと、それは音楽中毒誌『intoxicate』に書いたからです。書いたのは800字の文章ですが、これだけのビッグ・アーティストなので、ぼく以外にもタワーレコードの2人=鈴木智彦さんと篠原裕治さんとの計3人によるクロス・レヴューになってますから、この新作については全2400字書いてあります。

この新作の2枚組CDについていたDVD(ライヴ映像だけで2時間半はあったよね)を観た人の多くは、何でマヌや観客がみんな、白と赤の服装をしてるんだろう? と強烈に疑問に思ったはずですが、そのことについても書きました。

原稿料をいただいている道義上、同じ内容をここに書くわけにはいかないので、興味のある方は是非、タワーレコードでもらってください。その他にも興味深い記事がいっぱいありますし、読み終わったら、この『パンドラの匣』川上未映子の写真を額に入れて壁に飾り、その前で、湯呑みで焼酎なんかを飲みながら、「竹さん・・・」とつぶやいて楽しむこともできます。無料で、です。

『Baionarena』はロング・ボックスもありますが(限定じゃないかな?)、ぼくは収納に困るので普通のサイズで四つ折りジャケの方を買いました。これから買う人は、今ならまだ好きな形を選べるんじゃないかな。

Le Bentō, c'est chic.

■“弁当男子”なる言葉が流行しているが、実は若い世代の節約志向が高まって性別問わず、弁当持参で出勤、って人が増えてるらしい。テレヴィのワイドショウでもその特集を何度か見たし、東急ハンズやら西友やらでも、弁当自作者のためのグッズを売るコーナーがデカくなってる。

特に、日本男児は概して未だに家庭的な作業をすることを肯定的に考えていないと欧米諸国から見なされているフシがあり、昨今の“弁当男子”現象はニューズ・ヴァリューがあるものとして結構外国でも報道されてるみたいだ。
(アメリカ、イギリス、フランスの報道で日本の“bento danshi”の記事を読んだが、その現象の原因としては、だいたいどこも日本の景況悪化を挙げている。が、この国のうそつき年金制度を見限った若者が、早くも20代から老後を見すえて貯金に精を出していることに言及した記事は、オレが見たところない。東京特派員のジャーナリスト連中もたいしたことねえな)。

ところが、それらの国ではそもそもしばらく前から“bento”そのものへの注目が高まってるのだ。特に最近はフランスのメディアでも〈Bentō〉の文字が踊っているのがまま目につく。“愛好者”のブログも数あり、例えば写真がきれいでいつも見ている(確か)ボルドーの女の子の bento blog がこれ。フランスでも相当のアクセス数がある人気ブログらしい(このトップから飛べる、フランス語圏&インターナショナル・ベントー・ブログのリンクも凄い)。



これによると、モード誌『marie claire』の今月号でも Bentō 特集が組まれたという。ル・ベントー、セ・シック、ってことらしい(・・・別に初めての特集ではないようだが)。

もちろんフランスにも “bento danshi” はいる。日本好き男子は、まさか流行に乗り遅れたりしない。この人は、たまにギョッとする弁当をこしらえるが、この日はタブレ&チョリソ(へえー)、キャロット・サラダで、結構フォトジェニックだ。



アメリカにも Bento Specialist がいて、このサン・フランシスコのビギーさんは、その道で結構有名な人のようだ。

で彼女、日本のメディアから、「アメリカにも“bento danshi” はいるの?」と訊かれたもんだから、律義に自分のブログでアンケートを取っている(もし、あなたがアメリカ人の bento maker なら、教えて。あなた、男性? 女性?)
結果は、今日現在で、彼女のブログを見てるアメリカの弁当自作人口における男子率は17%・・・これが多いのか、少ないのか分かんないが、ちゃんといる。

で、このビギーさんのブログのリンクから今度はイギリスの新聞『The Guardian』のサイトに飛んでみたら、その記事の笑える書き出しはこうだ。

《戦後最大の景気後退により、”サラリーマン”の名称で知られる日本のキッチン恐怖症ホワイトカラーたちも、彼らの内なるジェイミー・オリヴァーを引き出さざるを得ない状況になった》。

その記事を書いた東京特派員が、嬉々として“正しい”日本風弁当の作り方をイギリス人に教えてるヴィデオが、また、しみじみと可笑しい(このヴィデオの音楽の被せ方なんか、きみがジェイミー気取りなんじゃねえの? とツッコミを入れたくなる)。

といった風に、最近オレはキー・ワード《bento》で検索して、いろんな国のベントー事情を見るのが趣味だ(昼飯は結構頻繁に――晩飯はほぼ毎日――自分で作っているが、勤め人じゃないから別に弁当箱に入れる必要性がないので、こういうブログには全く実用性を求めていない。ただ、人の作る弁当を見るのが楽しい)。ただし、親切心に溢れた日本人女子が得意の英語を駆使して外国人向けに弁当作り指南サイトを作ってたりするのには、あまり興味がない(オレが日本人なんだから当然か)。

今日発売の週刊『東洋経済』誌でも《弁当男子が増殖中》という記事を組んでいたので、男子をターゲットにした楽しい弁当グッズの新製品なんかがどっさり載ってんのかと思ったら・・・若者の生活スタイルの変化が経済に及ぼす影響やら、それで弁当が売れなくなったコンヴィニの苦悩やら、数字だらけの色気のない記事で(経済誌なんだから当然か)、それも興味なかった。経済はシックじゃねえ。

10.12.2009

Server overloaded, too many people are making love right now.






■ことが落ち着いたときにはちゃんと表示される・・・それを見ると、なかなか感慨深いものがあるよ。

http://www.ijustmadelove.com/

事実が反映された正確なデータ、と呼ぶにはほど遠いだろうが、地球全体をこういう視点からイメージしてみるというアイディアは、〈終末時計〉的な陰気なヤツよりはずっといい。

それによく見てみると、結構「なるほどねー」っていう有益な情報があったりもする。

10.08.2009

Back to the Nature






■10月3日、フランス/ブルゴーニュ、裸のインスタレイション。アメリカの写真家、あのスペンサー・チュニックだ。

オーガナイズしたのはグリーンピースとチュニックで、これらの作品は同団体のウェブ・サイトで見ることができる。

ワインで世界的に有名なブルゴーニュ地方のぶどう畑に、チュニックは全員ヴォランティア(=報酬なし/チュニックのサイン入りで写真がもらえるだけ)からなるモデル713人を配置して、今回は4つのインスタレイションを作った。女・男だけのものが1つずつと、一緒になったものが2つだ。

それらで《気候の変調に対する人間とその文化の傷つきやすさ》を表現したのだという。前掲サイトにはこうある。
「私たちのぶどうの木、私たちのガストロノミー(*)、私たちの地球は、気候の変動によって、そして“世界共同体”のこの問題に対する消極的な態度によって危機にさらされている。コペンハーゲンのCOP15 まであと2ヶ月、今、政治家たちはドラスティックに対応しなければならない。何故ならば、スペンサー・チュニックが言うように、“自然はちょうど今、これまでの人間たちによる暴力的支配に対して反撃しているところなのだから”」。

(*日本におけるこの語の一般解釈は、食べる行為にだけフォーカスされたかなり限定的なものだ。想像するに、こういうイヴェントに参加する市民・・・別の言葉で言うと活動家・・・は、むしろ我々が考えるような“美食”習慣を積極的に讃美しない人たちが多いんじゃないかと思う)

参加者の女の子の1人(別に自然回帰主義者/ヌーディストではなく、人前でこんな風に裸になったことが一度もない女性)の体験談を読んで面白かったのは、彼女がこの“作品”について述べていることの他にも、「大勢で裸になると、驚くことに、他人との距離が縮まる。(互いに見知らぬ参加者同士、)服を着ているときよりもずっとわけなくコミュニケイションが取れた」と語っていることだった。いろいろな意味で含蓄のある言葉だ。

このインスタレイションのことを、フランスのテレヴィはもちろん、世界中の多くのメディアが取材し報道したようだが、日本のテレヴィや新聞はどこかきちんと報じたんだろうか? 

見知らぬ人の前で全裸になることに対する各自の個人的な考えなどは、当然ながら、この場合どうでもいい。肝心なのは、この主催者、アーティストと参加者たちの想い(問題意識、アイディア)だ。
そしてそれは、京都議定書での目標を全然守れていないばかりか、ますます温室効果ガスの排出量が増えているこの国・・・そしてエコを口実に、政府と経団連が結託して新しい電気製品をガンガンに売った(それで社会のほんの一部の人間だけを潤し、まだ使える製品を大量にゴミにした)この日本でも大きく報道して、政府や役所や財界の連中や国民を刺激するのに効果的な価値あるものなんじゃないか? と思うのだ。
(とはいえ、この真摯な運動を報じる際に陰毛や性器をボカシたりしたら、この作品の肝にある“自然性”そのものが否定され、つまり、起きたことを正しく伝えるという報道の理念にもとるものになってしまうわけだが・・・)。

話の軸は変わるが・・・マドンナがマイケル・ジャクソンとの思い出を語った映像をさっきじっくり観たばかりだったので思い出したが、ぼくがタワーレコードで働いていたときに、マドンナの写真集がアメリカ(だったよな・・・)で発売になり、それの輸入時に、マドンナの陰毛が写っていることが理由で商品が税関で止められたことがあった。で、それを海外にオーダーした輸入レコード店や輸入書店などはどこも、誰か従業員を税関まで出向かせ、彼らはそこの一室にこもって何日間か朝から晩まで、マドンナの股間(その写真集に何箇所写っていたのか、詳しいことは忘れたが)に紙やすりをかけていたのだ・・・ペイジに穴が開かないように細心の注意を払いながら・・・。が、いくら注意を払おうと、日本のマドンナ・ファンが写真集のキズモノを新品として買わされたことに変わりはない。

それは、いわゆる“日本メイプルソープ裁判”の前の話だ。そしていまだに我々日本人は、我々の国を代表する映画監督の1人、大島渚が作ったままの『愛のコリーダ』を観るために、飛行機に乗ってどっか遠い外国に行かなくてはならない。

10.03.2009

(みんな)リタ・ミツコ(憶えてる?)

■今週のグラトス=グラティス=ロハ、その2。

Les Rita Mitsouko(レ・リタ・ミツコ)は素晴らしいユニットだった。音楽が素晴らしいだけでなく、2人にはユーモアがあり、政治的な発言にも説得力があり、ときには”商売”を度外視して市民運動を率先し、多くのフランス国民(右翼除く)に愛された。もちろん、80年代には世界中に知られたし、そもそもその名前自体が、《“リタ(南米の女性名)”と“ミツコ(日本の女性名)”》・・・要するに“世界の端から端まで”を意味する、彼らの世界主義的な思想を表象したネイミングだった。


             The No Comprendo (1986)



           Best Ov Les Rita Mitsouko(2001) 
                    http://www.ritamitsouko.com/

と、過去形で書かねばならないのは、2年前に惜しくもフレッド・シシャンが他界してしまったからで、去年からカトゥリーヌ・ランジェが1人で活動を再開している。

このフレッド他界の報道に載っている写真の日のパフォーマンスが、YouTubeで観られる。フレッドのギター1本で「Marcia Baila」を歌い、その後ヘロヘロのヴァネッサ・パラディーが飛び入りして一緒に「Les histoires d'A.(Aの話/これは”Amour”の方)」を歌う。なかなかいい。

http://www.youtube.com/watch?v=n6Ley20SFcg

最近では、カトゥリーヌ・ランジェがお友だちイギー・ポップにエスコートされ、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのクレイジー・ワルツ「I Put a Spell on You」をTVショウでデュエットしたのも話題になった。
http://www.youtube.com/watch?v=aad0EoncFRw


前置きはさておき、何がタダかというと・・・その待たれるカトゥリーヌのソロ・スタジオ・アルバムに先駆けて、少し前から彼女の新曲が無料でダウンロードできるようになっているのだ。で、その曲がフランスで結構な”物議”を醸しているので、DLする人に曲の背景を解説しておこうと思う。

曲は「Je kiffe Raymond(大好きよ、レモン)」という。



レモンとは、レモン・ドメネック(Raymond Domenech)のことで、日本でもサッカー・マニアなら知ってるのかもしれないが、フランスのナショナル・フットボール・チームの監督だ。オレは全然熱心なサッカー・ファンじゃないが、この男はなかなか興味深いので、彼についてはちょっとだけ知っている。

というのも去年の6月にマニュ・チャオのパリ公演を観に行ったちょうどそのとき、ヨーロッパはサッカーの欧州選手権でガンガンに盛り上がっていた(欧州では多分にお祭りっぽいワールド・カップよりも、近隣諸国とのガチンコ勝負=欧州選手権の方が、サッカー好きはずっと熱くなるらしい)。で、フランス・チームは大事なイタリア戦で敗退し、ちょうどそのテレヴィを観ていたのだが、その試合直後の監督インタヴューの最後に「この負けの責任を取って進退について考えるか?」とアナウンサーに問われたときにこのレモンという男、「分からない。ただ、今の私の唯一の予定は・・・エステル、きみと結婚したい。こんなときだからこそ、きみが必要なんだ」と、カメラ目線で恋人にプロポーズしたのである。民放TV M6の生放送の敗戦の弁の場で、だ。(観たい人はこれ)

彼の恋人とはそのM6のサッカー番組の司会をしているエステル・ドゥニ(Estelle Denis)で、そのインタヴューをスタジオで観ているのである。2人の間には子供もいるし、両者の関係は有名なのだが、それにしても、国中のファンがイタリアに負けて怒っているその瞬間に、監督がそのあとテレヴィに映る恋人に公共の電波でプロポーズしたんだから、メディアはナショナル・チーム監督のその良識を疑い、国内サポーターも彼をけちょんけちょんに叩きまくった。ある意味当然である。

その恋人のエステル・ドゥニは、担当する人気サッカー番組で、いつもお世辞にも品がいいとはいえないサッカー評論家やジャーナリスト連中と丁々発止でやりあうなかなか気持ちのいい女性で・・・

(この映像では、評論家連中が全員、彼女に対して、ドメネックは監督を辞めた方がいいと言っている)
(これはその翌日の放送で、ドゥニは「結婚するのか? どうなんだ」と評論家に責められるも平然とシラを切りまくっている。この日のスタジオには、その様子をあきれ顔で眺めるミュージシャンのバンジャマン・ビオレーもいる)

・・・視聴者からの人気も高い。なので、彼女のファンはますます、「おまえ、結婚どころじゃねえぞ、さっさと監督辞任しろ!」ということになるのだが、その欧州選手権の痛恨の敗退、プラス、前代未聞のプロポーズ大作戦から1年以上たった今も、レモン・ドメネックはフランス代表チームの監督であり続けていて、ますますプレッシャー高まる中で2010年ワールド・カップの予選を戦っている。

そんなときに、“国民的歌手”カトゥリーヌ・ランジェは「Je kiffe Raymond(大好きよ、レモン)」という新曲を作り、それをタダで配信し始めたというわけだ。話題はあっという間に広がり、間違いなく、物凄い回数ダウンロードされているだろう。

で、その内容はというと、「アタシはレモンが大好き。いい男。凄く、いい男だわ。あの視線がステキ。彼はまわりの言うことなんか構っちゃいないのよ。彼のやり方、その口調も・・・完璧よ、ドメネック。みんなあんたのこと大好きなんだから」って感じで、笑っちゃうくらいベタ褒め。

当然彼を“みんなが大好き”なはずはないし、ここまで持ち上げると強烈な冗談にも思えるわけで、あの硬派な(そしてこっちはみんながその良識を信用している)カトゥリーヌ・ランジェが、こんな歌をどこまでマジで歌っているのか、みんな笑いながら首をかしげている感じなのだ。

で、肝心のヴォーカルは、相変わらずカッコいい、クールに歌い飛ばすカトゥリーヌ節だし、文句なく楽しい曲だ。オレは昔から彼女の大ファンなので、地球の裏側の“ミツコ”の国からも、この曲をたくさんダウンロードして欲しいと思うわけです。

ちなみに曲名「Je kiffe Raymond(ジュ・キフ・レモン)」の“kiffe(不定詞 kiffer)”という動詞が、普通のフランス語辞書には絶対に出てこないスラングで、“凄く好き”という意味。語源はアラビア語の“kif(キフ)”で、大麻(樹脂/ハシシ)のことだ。この言葉がフランスの旧植民地だった北アフリカ諸国経由でフランス語の中に入ってきたときに、“大麻”が“大好き”という意味になり、みんなが使うようになった。最後、いい話だろ。

tokyoなんとか10月号


■今週のグラトス=グラティス=ロハ(は死語か? でもオレはロハスよりロハな人間だ)・・・要するに金を払わずに楽しめるもの、その1。現物を手にできる人は配布店で。難しい人は、毎月のように以下のリンクから落とせる。


落とすのが面倒、という人でも、是非イルコモンズ氏の《なんとかフェス》原稿だけでも、倫理的に正しくかっぱらってきたので、ここで読んで欲しい↓

▼イルコモンズ「イルコモンズのなんとか原稿」

4泊5日の「なんとかフェスティヴァル2009」からもどってきたら、気のせいか、ものがよくみえ、耳がよくなってた。気のせいでなければ、あたまもすこしよくなった気がする。どうやら感覚がひらいたらしい。じっくりものをみたり、じっと耳をすましたり、しっかりものを考えるようになった。こどものころ、キャンプから帰ると、「なんだか、たくましくなって帰ってきたね」と、よくそう云われたもので、なるほどそれに似たところもあるが、すこしちがう気もする。おそらくそれは、日ごろ、聞きたくもない音楽や見たくもない広告、知りたくもないニュースや食べたくもないメニューであふれた、アシッドな資本主義の世界で、あたまを狂わさずにサヴァイヴしてゆくため、知らず知らずのうちにOFFにしていた感覚がオープンになり、リヴァイヴしたのだと思う。つまり「サヴァイヴ&アライヴ」の「なんとかフェスティヴァル」は、「リヴァイヴ」のフェスでもあったわけだが、それ以上にまずは「アライヴ」のフェスだったと思う。なにを「生きた」かといえば、もちろん「革命後の世界の暮らし」であり、「金もうけ連中の世話や餌食にならなくて済む生活」であり、「エコ=ECO=END CAPITALISM ORGANICALY=有機的に資本主義を終結させる)」な生活である。それは、朝起きてから朝寝るまで、ひっきりなしに誰かがドラムやギターを鳴らしていたり、昼間からなにもせずただぶらぶらしてたり、夜中に酔っぱらって地面で眠りこんでたりしても、まぁ「なんとか」なってゆく暮らしであり、「なんとか」なりそうにない場面になればなるほど、みんなでよってたかって「なんとか」してしまう、たくましい生活である。そんな「なんとか」ライフをアライヴしたのだから、このフェスに参加した100人はさぞかしみんなたくましくなって帰ったのではないかと思う。。。という、この作文も実は、「こまった、こまった。「TOKYOなんとか」10月号に載せてもいい原稿とかないでしょうか?」というIRAの成田くんからのSOSメールをみて書いた「なんとか原稿」だったりする。成田くん、これで「なんとか」なるかな?

それはさておき、こないだ、この「なんとかフェス」をドキュメントした映画「なんとかフェス・ざ・ムービー」をみた。その、とにかく、うるさくて、やかましくて、みてると、また感覚がひらいてしまいそうになる映画をみながら思ったのは、「世界がもし100人の村だったら」ではなく、「世界がもしこんな100人の村だったら」ということである。映画はまだ未完成だけど、完成後の映画の宣伝コピーを先につくったので、この「なんとか原稿」のおまけにつけておきます。

この映画は
「革命後の世界」を先につくって生きてしまった
「百人一揆」の記録である。
「もうひとつの世界」は可能なだけでなく、
もうとっくに生きられはじめている。
 見よ、呆れよ、
そして、おもしろければ、来年、参加したまえ。
 これが「革命後の世界の暮らし」だ!


【名称】 「イルコモンズのなんとか原稿」 ブログ版
【分類】 オープンソース・コンテンツ
【仕様】 「TOKYOなんとか」10月号掲載版をソースにコンテンツを改変。
【帰属】 排他的・独占的コピーライトなし
「クリエイティヴコモンズ・ライセンス 表示-非営利 2.1 日本」対応
   この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
【備考】 文章の改変・翻訳・リミックス推奨

[警告] この記事の無断転載の禁止を禁じる。

***かっぱらい、ここまで***

試写会で観た、「なんとかフェス・ざ・ムービー」の1st. ヴァージョン、すげえ面白かった。
決定版が一般公開されるあかつきには、またここで告知します。