3.31.2011

大丈夫だと百回言ったけど、本当は大丈夫ではなかった


■東電の社員が昨日(30日)の朝日新聞夕刊で告白している。

これまで「津波がきても大丈夫です、と百回くらい言った」と。
これまで「原発は安全です、と説明し続けてきた」と。

そして今「非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです」。

この人たちは、「原発は安全です」と言うのが仕事だった。それで給料を貰っていた。言葉は悪いが、カネ、生活のために「原発は安全です」と繰り返し、飽きずに言い続けてきたのだ。

ならば今現在も、そしてこれからも、同じようにカネのために、

「原発は安全です」と、
「津波がきても大丈夫です」と、
「ただちに健康に影響はありません」と、
「特に心配する必要はありません」と、
「デマに惑わされないで」と、

言っている、言い続ける連中がいる、と考えて、何が、どこが不自然だろうか?

真実を隠し、百回どころか二百回でも三百回でも、国民がクタクタに疲れ切るまで、そして、自分が今いる組織からたんまりと退職金をもらってオサラバするまで、「ただちに健康に影響はありません」と言い続ける気なんだろう、と考えて、何が、どこが不自然だろうか?

ハナからそういう方針だから、“上(影?)”からの指示通り、奴らはブレずにその方針を貫き通しさえすればいい。仕事としては、高給に値する恐ろしく簡単な仕事である(オレたちは、東電の下請け会社に雇われている人たちの話を聞いて学んだばかりだ。危険で難しい仕事こそ薄給だってことを)。

法令限度の3000倍だろうと、4000倍だろうと、それが仮に20万倍になろうと関係ない。痛くもかゆくもない。「海水に拡散しますから大丈夫です」とだけ、言い続ければいい。海を汚してる意識など、持つ必要は一切ない(そんな気配りは、給料に“つかない”)。(4月5日15時追記/4月2日、2号機近くの海水から国の定めた濃度の750万倍のヨウ素131が検出されていた、との情報を、たった今、日本テレビ『ミヤネ屋』で報じている)

そして何十年後かに、どっかの若いジャーナリストが訪ねてきて昔の責任を追及されたら、耄碌して半分ボケた老人を装い、

「非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです」

と、だけ、言えばいい。